藤原為輔の子として生まれる

藤原宣孝は、平安時代中期の公卿・藤原為輔(ためすけ)の子として生まれます。当時の貴族社会は、天皇家と深く関わりのあった藤原北家によって牛耳られており、宣孝も北家の高藤系出身でした。しかし、その中でも、自身の娘を天皇の后につけた藤原師輔(もろすけ、道長の祖父)の家系が特に栄え、栄華を極めることとなったのです。

それでも、北家出身の貴族として生まれ育った宣孝。父・為輔がそうであったように、宣孝も数々の要職を歴任することとなりました。正暦元年(990)、宣孝は御嶽精進(みたけそうじ、奈良県の金峯山に登って参詣する者が、登拝に先立って行う精進のこと)を行い、同年に筑前守に任命されています。

長徳4年(998)には、石清水(いわしみず)臨時祭と賀茂(かも)臨時祭の舞人を奉仕しており、同年に山城守を兼任しました。石清水臨時祭と賀茂臨時祭は、南祭・北祭と呼ばれる伝統行事で、明治3年(1870)に廃止されるまで開催されていました。

さらに、長徳4年(998)の11月末には、豊前国(現在の福岡県東部と大分県全域)に位置する宇佐神宮の奉幣使(ほうへいし)にも任命された宣孝。奉幣使とは、神に供物を捧げるため、神社に参向する使者のことで、翌年帰京してまもなく、相撲節会(天皇や上級貴族たちによる、相撲大会の儀式)にも武官として列席しています。

宇佐神宮

数々の職務を任せられていた宣孝は、世知に長けた教養のある人物だったのかもしれません。

紫式部と結婚する。次ページに続きます

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