文/池上信次

CDの時代から、ジャズでは海外の主要レーベルの多くの作品が、本国での発売と同時に日本盤が出て、情報も鑑賞も批評も「時差ほぼなし」が当たり前。現在では、アーティストが作品を発表すると同時に聴くこともできたりと、時差はゼロにまでなりました。が、その昔の時差は大きく、それはアーティストの認識や評価に大きな影響を与えていました。

1960年代の初頭あたりは、海外の新作をすぐに聴くのはとてもたいへんなことでした。輸入されるレコードは高価で数も少なく、情報も限られたものでした。ジャズ喫茶オーナーの回顧録のたぐいには頻出する話題ですが、だから当時のジャズ喫茶は新譜輸入盤を買い入れ、それを大きな「売り」にしていたのです。とはいえ、そこで聴けるのはごく一部の人だけ。では多くのジャズ・ファンはどうしていたかというと、国内盤で聴いていたわけです。しかし種類は少なく、本国の発売とは「時差」も大きくありました。60年代初頭は、ジャズがどんどん変化していた時代ですが、そのような状況での評価軸は現在とは違っているかも? と思い、当時のジャズ国内盤事情を調べてみました。

1962年10月5日、日本ビクター(当時)から『ヴィレッジ・ヴァンガードのビル・エヴァンス』というアルバムがリリースされました。このアルバム、ご存じですか? これは『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』のこと。アメリカでの発売は61年10月ですので、それから1年遅れてのリリースとなりました。これがエヴァンスの初の国内盤、いわば日本デビューです。このアルバムはエヴァンスの5枚目のリーダー作ですが、当時多くのジャズ・ファンは、これで初めてエヴァンスをソロ・アーティストとして認識したわけです。


ビル・エヴァンス『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』(リヴァーサイド)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)
録音:1961年6月25日
1961年6月25日のヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴは、このアルバムと『ワルツ・フォー・デビイ』の2枚のアルバムになりました。

マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』(コロンビア)など、エヴァンスがサイドマンとして参加したアルバムの国内盤がいくつかすでに出ていたこともあってか、『スイングジャーナル』(以下SJ誌)62年9月号掲載の「海外ジャズメン人気投票」で、初のランク入り(ピアノ部門11位)した注目のアーティストでしたが、多くのファンはリーダー・アルバムを聴くことができなかったのです。ですから、結果的に「満を持して」のリリースとなりました。しかも(現在でも)最高傑作の誉れ高い作品が最初に出たのです。デビュー作から順番に聴けばさまざまな評価軸がありますが、いきなりこれは強烈なインパクトだったに違いありません。同誌62年11月号のディスク・レヴュー(相倉久人)では星4.5の高評価、また「ジャズ・ピアノの新しい道」と題したエヴァンスを紹介する特集記事(蔡垂炳)も組まれました。

さらに、SJ誌63年1月号の「批評家が選んだ1962年度ジャズLPベストテン」では、リリース直後の『ヴィレッジ・ヴァンガードのビル・エヴァンス』が第3位となりました。新人が満塁ホームランを飛ばしたようなものですね。この好評を受けて、63年1月5日には日本ビクターから『ビル・エヴァンスの芸術』がリリースされています。これは『ワルツ・フォー・デビイ』のこと(アメリカでは62年3月ごろリリースされました)。SJ誌のディスクレヴューは満点の5星(植草甚一)。『芸術』というタイトルからして、すでに「大物」の扱いですが、エヴァンスの実力のほかにも、じつはここにはもうひとつの要因がありました。

当時、日本のレコード会社各社はアメリカのレコード会社と次々に契約を結び、国内盤の発売が勢いづいてきた時期ですが、SJ誌に「リヴァーサイドはまだ発売にならないのか?」といった記事が複数あるほど期待されながらも、リヴァーサイドの国内盤は出ていませんでした。セロニアス・モンク、キャノンボール・アダレイらを擁するリヴァーサイド・レコードはとても注目されていたのです。そして、ついに62年9月5日に日本ビクターから発売開始。ジャズ・メディアもこれを絶賛し、『ヴィレッジ・ヴァンガードのビル・エヴァンス』はその第2回目のリリースで、つまりリヴァーサイド・ブームの渦中にあったのです。

エヴァンスは「最初から高評価」という鮮やかな日本デビューを飾っていたのですが、国内盤発売のタイミングが、当時のエヴァンスの(1年遅れとはいえ)最新作(かつ最高傑作)と重なったことが、現在にいたる日本でのエヴァンスの高評価の土台を築いた、というのは言い過ぎかもしれませんが、このタイミングも注目された理由としては見逃せないものだと思います。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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