文/池上信次
「休業要請」「外出自粛」……。ライヴに行けなければ、家(うち)でライヴだ。ということで、今回はライヴ盤の楽しみ方の提案です。「ワン・ドリンク」を用意して、ライヴ録音されたレコード/CDをかければ、はい「家ライヴ」の出来上がり、ではありますが、せっかく聴くなら本当のライヴのようなワクワク感や新しい発見がほしいですよね。そこでお勧めなのは「完全版(コンプリート・ヴァージョン)」によるライヴ完全再現。
モダン・ジャズ時代のライヴ盤は、LP収録時間の制約や「作品」という観点から、当然演奏は取捨選択され、編集されることも珍しくなく、曲順も実際とは違っていました。それがCD時代になると、LPアルバムの評価が定着したことと収録可能時間が長くなったことにより、ライヴ音源の「元素材そのまま、まるごと収録」という、「完全版」CDが登場しました。これによって、それまではわからなかった、現場での実際の曲順やノーカットの演奏が明らかになりました。
1961年6月25日、ニューヨークの「ヴィレッジ・ヴァンガード」で行なわれたビル・エヴァンス・トリオのライヴは、『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』と『ワルツ・フォー・デビイ』(リヴァーサイド)という2枚のレコードとなって発売されましたが、これが2005年に「完全版」がリリースされ、当時は大きな話題になりました。
(1)ビル・エヴァンス『ザ・コンプリート・ヴィレッジ・ヴァンガード・レコーディングス 1961』(リヴァーサイド)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)
録音:1961年6月25日
※2011年リリースの日本盤『ワルツ・フォー・デビー[完全版]』(ユニバーサルミュージック)も同内容。
この「完全版」はその日に行なわれたライヴをすべて演奏順に並べ、ノーカットで収録したCD3枚組(LPは4枚組み)。ステージは午後4時30分からの昼の部が2セット、9時30分からの夜の部が3セット(各30分ほど)行なわれ、それらがほぼすべてCDに収録されています。たとえば「昼の部セット1」は、ベースのチューニング、アナウンスで始まり、1曲目が「グロリアズ・ステップ」(途中でレコーダーが一時止まるトラブルがあり、収録は途切れます)、曲が終わるとエヴァンスたちがなにやら会話をして「不思議の国のアリス」が始まります。『ワルツ・フォー・デビイ』では1曲目に収録された、繊細なタッチが印象的な「マイ・フーリッシュ・ハート」は、実際はこのセットの3曲目で、クライマックスは、このあと4曲目の「オール・オブ・ユー」なのです。続いてセットのクロージング・テーマが弾かれ、「しばらく休憩」のアナウンスと拍手で終わります。「オール・オブ・ユー」ってこんなに盛り上がる曲だったっけ? 曲順で印象は大きく変わることに驚きました。『サンデイ・アット〜』と『ワルツ・フォー・デビイ』のどちらともまったく違う構成なのですが、これこそが本来のライヴだったのです。また、このセットでは、スコット・ラファロの躍動するベースがたいへん目立っていて、相対的にエヴァンスの存在が弱く感じられ、このトリオの特異性がさらに際立って聴こえるようです。
また、それまで2枚のアルバムで聴かれていたこのライヴは、「観客の話し声や食器の音が騒々しい」ことでも知られますが、この「昼の部」は、早い時間で飲食が少ないからなのか、まったく静かなのです。曲が終わるたびに入る拍手も大きく、日曜日の夕方に観に来るぐらいですから、熱心なファンが多かったのかもしれません。うるさくなるのは夜なのですね。これまでは昼夜のテイクが混在したので、全体に雑音が目立ってしまっていたのでしょう。これは大きな発見でした。
じつは、私は東京のジャズ・ライヴ・バー「スイート・レイン」で、2017年「6月25日の日曜日」に、「エヴァンスのヴァンガードを追体験する会」を企画・開催しました。開始時刻は、ヴァンガード「昼の部」開演の午後4時30分から。つまり、ライヴ録音と同じ日、同じ曜日、同じ時間、同じ曲順で聴いてライヴを「追体験」するというわけです。きっとそれまで聴きなれた音楽もまた違って聴こえるであろうという実験でしたが、想像以上の印象の違いに驚きました。上記はそのときの感想です。1961年当時の新聞によれば、この日のニューヨークの最高気温は28度。2017年のその日の東京もほぼ同じ。ちょっと汗ばむ初夏の休日の午後、まだビールは早いかなと思いつつ、地下への階段を降りていく(ヴァンガードもスイート・レインも地下)というだけでもちょっとしたワクワク感がありました。当時の現場と同じ状況・環境が「ライヴ」気分を大きく盛り上げてくれたのです(ちなみに、次の「6月25日・日曜日」は2023年です)。
有名アルバムで、「ステージまるごと演奏順収録」の「完全版」がリリースされているものは、このエヴァンスのほかにも、マイルス・デイヴィス(後述)、ソニー・ロリンズ(『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』[ブルーノート])、ジョン・コルトレーン(『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード1961』[インパルス])などがあります。いずれもオリジナル・アルバムは折り紙付きの名盤。作品として「不完全」ではないので、「完全版」という表現はふさわしくなく、ほんとうは「未編集版」とでもいうべきなのでしょうが……。
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(2)マイルス・デイヴィス『イン・パーソン・フライデイ・アンド・サタデイ・ナイト・アット・ブラックホーク・コンプリート』(コロンビア)
演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、ハンク・モブレー(テナー・サックス)、ウィントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)
録音:1961年4月21、22日
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マイルス・デイヴィスの1961年4月のサンフランシスコ「ブラックホーク」でのライヴは、LP時代には『イン・パーソン・Vol.1 フライデイ・ナイト・アット・ブラックホーク』と『同Vol.2 サタデイ・ナイト〜』の2枚のアルバムでリリースされましたが、現在はCD4枚組の『イン・パーソン・フライデイ・アンド・サタデイ・ナイト・アット・ブラックホーク・コンプリート』(コロンビア)もリリースされています(分売版あり)。これは2日間全7ステージの演奏を、すべて演奏順でノーカット収録したもの。ハンク・モブレーのソロのカットが多かったLPとは大きく印象が異なります(まるで別もの)。また、セットによってはピアノ・トリオの演奏もフィーチャーされていたのでした。アルバムには開演時間の記載がないのですが、ファースト・セットはおそらく夜9時開演。「金曜日」は3セット、「土曜日」は4セットが演奏されました。
では、さっそく4月21日と22日(あるいはその週の金曜と土曜)の晩は、マイルスの「家ライヴ」を楽しんでみるのはいかがでしょうか。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。先般、電子書籍『プレイリスト・ウィズ・ライナーノーツ001/マイルス・デイヴィス絶対名曲20 』(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz/)を上梓した。編集者としては、『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/伝説のライヴ・イン・ジャパン』、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)などを手がける。