前回紹介の『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』『ワルツ・フォー・デビイ』はビル・エヴァンス・トリオの代表作ですが、紹介される際に必ず語られるのが、「観客が騒がしい」ということ。前回は、それが(そのアルバムにおいては)いいように作用しているという説を紹介しましたが、ふつうに考えれば、観客の「ザワザワ」(以下ノイズ)はなくて当たり前。でも、そのアルバムを聴いて思うのは、観客の盛大なノイズは、そのアルバムの録音時に限ってのことだったのか、ということ。もしかして、ヴィレッジ・ヴァンガードでは、それは特別なことではないのでは?、と思って調べてみました。

ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ・レコーディング・アルバムは、これまで100枚超もリリースされています。片っ端から聴いていけば見えてくると思いますが、まずはビル・エヴァンス・トリオの録音でチェックしてみました。というのは、エヴァンス・トリオは『サンデイ〜』『ワルツ〜』のほかにも、ヴィレッジ・ヴァンガードでの録音をたくさん残していたのです。しかも、もとが「隠し録り」という音源も正規のアルバムとして発表されています。つまりそこからは、会場のありのままの様子を知ることができるのです。


ビル・エヴァンス『ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・セッション’67』(ヴァーヴ)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)、エディ・ゴメス(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1967年8月17、18日録音
エヴァンスの死後に発表されたアルバム。音質がいいのは、発売前提で録音されていたものだったから。フィリー・ジョーの奔放なドラミングが、歴代トリオのなかでは異彩を放っている。オリジナル・タイトルは『カリフォルニア・ヒア・アイ・カム』。CD2枚組×2セットの「完全版」もある。

ビル・エヴァンスのヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ音源収録アルバムは以下の7種(★は客席からの隠し録り音源)

1)『ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・セッション’67』(ヴァーヴ)1967年8月17、18日録音
2)『シンス・ウィ・メット』(ファンタジー)1974年1月11、12日録音
3)『リ・パーソン・アイ・ニュー』(ファンタジー)2)の別テイク
4)『フロム・ザ・70’s』(ファンタジー)2)の別テイク(1曲のみ)
5)★『ゲッティング・センチメンタル』(マイルストーン)1978年1月15日
6)『ターン・アウト・ザ・スターズ』(ワーナーブラザーズ)1980年6月(CD1枚の「ハイライト版」とCD6枚組ボックスでリリース)
7)★『シークレット・ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード1966-1975』(マイルストーン)1966〜75年録音(CD8枚組ボックス・セット)

73年の来日公演では大ホールを何日も満杯にしたエヴァンスですが、ニューヨークでは頻繁にヴァンガードなどのジャズ・クラブで演奏していたんですね。さて、観客はどうだったのか。

2)4)6)は、観客は静かで存在感はありません。が、それ以外の音源では、曲によりますが、演奏中に観客のノイズが聞こえます〈なぜか3)だけにノイズがあるのは謎ですが〉。とくに隠し録りのものは、客席で音を拾っているので、演奏中も話をやめない観客の存在がはっきりと伝わってきます。7)は1966年から75年までの、なんと26回ものセットの隠し録り音源ですが、時期にかかわらず多くの演奏で観客のノイズが聞こえます。

これらを聴いて結論づけると、「エヴァンスの、ヴァンガードでの観客はだいたいいつも騒がしい」といえそうです。ザワザワしているのが当たり前だったのですね。60年代から70年代当時のニューヨークのジャズ・クラブは、ヴィレッジ・ヴァンガードだけでなく、どこもきっと想像以上にリラックスしてジャズを楽しむ場だったのでしょう。近年、来日公演のステージで、観客の咳ばらいを気にして演奏を中断したピアニストがいましたが、時代は変わったということでしょうか(いや、たんに性格の問題か)。


ビル・エヴァンス『シークレット・ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード 1966-1975』(マイルストーン)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)ほか。編成はすべてピアノ・トリオ。
録音:1966-75年
ヴァンガードでの「隠し録り」をCD8枚に集大成。熱心なファンが録りだめていた音源で、公式アルバムには残されなかった貴重な顔合わせの演奏が満載。音質はよくないが、むしろノイズ入りだからこそ、生々しく感じられる。

もちろん、いうまでもなくエヴァンスの演奏は、観客のノイズがあろうとなかろうといつの時代も安定して素晴らしいものです。レコードとしての音質が悪くても、隠し録り音源まで発掘して発売され、こうして楽しむファンがいるのですから、エヴァンスの「ノイズ入りアルバム」は人気の証明といえましょう。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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