はじめに-寧々とはどんな人物だったのか?

寧々は、秀吉の正室です。二人の間に子どもはいなかったものの、仲睦まじい夫婦だったと言われています。百姓家の出身でありながら、武士として大出世を果たした秀吉。彼が天下統一を果たすことができた背景には、正室・寧々の内助の功が大きく関係していると言えるでしょう。

当時としては珍しく、恋愛結婚をしたとされる寧々。秀吉の政治にしばしば意見していたことから、聡明で逞しい女性というイメージが強いですが、実際の寧々はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、秀吉が深い愛と信頼を寄せた妻(演:和久井映見)として描かれます。

目次
はじめに―寧々とはどんな人物だったのか?
寧々が生きた時代
寧々の足跡と主な出来事
まとめ

寧々が生きた時代

寧々の生年については諸説ありますが、天文18年(1549)に生まれたという説が有力です。織田家の家臣・杉原定利(すぎはら・さだとし)の娘として生まれた寧々。その後、織田家の足軽組頭・浅野長勝(あさの・ながかつ)の養女となっています。

秀吉との結婚が決定した当時、寧々はまだ14歳でした。合戦で家を留守にすることが多かった秀吉の代わりとなって、寧々は家を守りながら秀吉を献身的に支え続けることとなったのです。

『絹本着色高台院像』(高台寺所蔵)

寧々の足跡と主な出来事

寧々は、天文18年(1549)に生まれ、寛永元年(1624)に没しました(諸説あり)。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

秀吉と結婚する

寧々は、天文18年(1549)頃に生まれたとされています。織田家の家臣・杉原定利の次女として生まれ、その後、織田家の足軽組頭・浅野長勝の養女となりました。秀吉とは、政略婚ではなく恋愛結婚だったと言われています。自分より身分が低い秀吉との結婚には、周囲が大反対したそうです。

しかし、その反対を押し切って秀吉と結婚し、浅野家で祝言が挙げられました。秀吉と寧々の間に子どもは生まれませんでしたが、秀吉の親戚にあたる加藤清正(きよまさ)や、福島正則(まさのり)らを、我が子のように可愛がって育てたそうです。

また、秀吉が築城した長浜城(現在の滋賀県長浜市)で、秀吉の家族と同居していた寧々は、家族とも非常に仲が良かったと言われています。この頃、戦のために家をあけることが多かった秀吉ですが、頻繁に寧々に手紙を送っていました。

子宝に恵まれなかったこともあり、側室や養子をもらって豊臣家を存続させようとした秀吉。しかし、常に寧々のことを気にかけていたことから、夫婦仲も非常に良好だったと言われています。

秀吉の関白就任、北政所と称される。次ページに続きます

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