細川忠興と細川ガラシャの像

ライターI(以下I):『どうする家康』で本能寺の変が描かれて、多くの人の人生が流転する様子が描かれました。特に、家康に対してほのかな恋心を抱いていたという設定のお市の方(演・北川景子)の流転ぶりが、北川景子さんのキリっとした好演とあいまって強く印象に残りました。

編集者A(以下A):そうですね。お市の方の忘れ形見である「浅井三姉妹」の行く末がどう描かれるのか楽しみなわけですが、ここでは、劇中では描かれなかった「戦国の姫君の悲劇」について触れたいと思います。本能寺の変で信長を斃した明智光秀の息女・明智玉子です。

I:光秀の盟友細川藤孝(幽斎)嫡男の忠興に嫁いでいたのですよね。その名に触れただけで、なんだかうるうるしてきます。

A:本能寺の変の時、細川藤孝・忠興父子は光秀の与力として、丹後の国五郡のうち一色氏三郡、細川氏二郡と分割支配をしていたようです。ここからは三重大学の藤田達生教授の『戦国秘史秘伝 天下人、海賊、忍者と一揆の時代』(小学館新書)の受け売りになりますが、ご覧ください。

天正八年(1580)八月、織田信長の命をうけた細川藤孝・忠興父子は丹後に入国し、八幡山城(宮津市)に入り、宮津湾に面した新城の築城を開始する。これが、宮津城である。丹後府中と宮津のほぼ中間地点に位置する弓木城には、一色義定(義有)がおり、細川氏とは対等の関係にあった。
細川氏は丹後国内の与謝・加佐の二郡を、一色氏は中・竹野・熊野の三郡を支配し、隣国丹波を領有した明智光秀が彼らを統率した。光秀は、両氏の緊張関係を和らげようと、藤孝の息女伊也を一色藤定に嫁がせている。
信長の指示によって宮津築城は急ピッチで進められるが、光秀も援助したようである。これは、光秀の織田家中内の立場に加えて、藤孝との年来の交友関係、さらには忠興が息女玉子(後のガラシャ夫人) の婿だったことにもよるであろう。

A: 光秀からしてみれば、信長を斃したあと、細川藤孝・忠興父子は当然のように自分に味方してくれると信じていたと思われます。ところが、実際はそうはならないのです。『戦国秘史秘伝』の該当個所を引用します。

細川父子と玉子が、新城に入ったのは天正九年三月のことだった。翌天正十年六月二日に本能寺の変がおこるが、細川・一色両氏の対応はまったく異なったといわれる。一色氏は光秀に従い、細川氏は味方せず、その結果、同年九月に義定を宮津に呼び出して謀殺した。
私は、細川氏の丹後支配にとって、かねてから一色氏が障害となっていたため、政治混乱に乗じてだまし討ちをおこなったとみている。謀殺事件が、本能寺の変後三ヶ月も経っていることからも、不自然である。これによって、丹後一色氏は滅亡したのであるが、後に細川氏はその祟りを恐れ、城内に鎮魂のために一色稲荷を建立した。

I:細川氏は完全に光秀を見限っていたことがわかりますね。宮津城の普請に光秀から援助までしてもらいながら、義理よりも実利をとったということですね。嫁いできた玉子の心中いかばかりだったでしょうか。ここで玉子の人生を『戦国秘史秘伝』から振り返りたいと思います。

一色氏を謀殺した細川氏であるが、一貫して反光秀の立場を貫いたことになっている。そのため人生が暗転したのが、忠興の妻玉子だった。宮津市内の大手川ふれあい公園には、細川ガラシャ像が建っている。ここで、玉子のプロフィールを概観したい。
玉子は、永禄六年に越前一乗谷にほど近い東大味(福井市)の地で誕生した。光秀が、戦国大名朝倉義景に仕えていた下積み時代である。父光秀は、やがて一乗谷に亡命してきた足利義昭の近臣となり、永禄十年に義昭とともに岐阜の信長のもとに出向いた。
翌永禄十一年には信長が義昭を奉じて入京し、室町幕府が復興した。その後、光秀は信長の家臣となり、近江坂本城(大津市)を預けられ、さらには丹波を領有する重臣にまで上り詰めた。玉子は、信長の仲介で天正六年八月に十六歳で細川忠興の許に嫁す。
この結婚を勧めた書状で、信長は光秀の知謀と藤孝の文武兼備を褒め、忠興については器量に優れ将来は武門の棟梁になる人物であるとまで持ち上げている。婚儀は藤孝の居城山城勝龍寺城(長岡京市)で行なわれ、子宝にも恵まれて結婚生活は順風満帆だった。ところが、本能寺の変の直後に、光秀の息女という理由から玉子は夫忠興によって味土野(京丹後市)に幽閉されてしまう。
味土野は、丹後半島のほぼ中央に位置する山間の地である。国道六五五線の終着点で、山深いこの地に人家は途絶えている。確かに「幽閉」という言葉に合致する環境であるが、「御殿」「女城」などの地名が残っていることから、それなりの施設があったと考えるべきだろう。信頼性にはいささか難があるが、江戸時代中期に成立した『明智軍記』によると、同地には明智家の茶屋があったという。
江戸時代、諸大名は領内の要衝に茶屋を設けた。これは、一国一城令によって領内に支城を維持することができなかったための方便でもあった。先の伝承地名「御殿」「女城」も、ここに城郭のような施設があったことを示唆するものではないか。
そうすると、玉子の味土野行きは、細川氏の光秀縁者としての関係を絶ったことを広くアピールするのと同時に、彼女の命を守るという意味あいもあったのではなかろうか。要するに、ほとぼりが冷めるのを静かに待つための方策だったとみられる。
玉子を宮津城内に匿えば、細川氏の明智荷担が明白になるし、かといって光秀の許に返すつもりもなかったのであろう。藤孝は玉子の教養を愛していたし、忠興も美貌の玉子を手放したくなかったに違いない。

I:光秀に味方はできないけれども、玉子も手放したくない。玉子がそれだけの人物だったというふうに解釈したいと思います。人間ドラマとしては上手に展開してほしい場面ですね。さて、『戦国秘史秘伝』の記述はさらに続きます。

最後に、光秀が藤孝・忠興父子に与えた天正十年六月九日付の三カ条の覚書(永青文庫蔵「細川文書」)を紹介したい。直接、光秀の玉子への思いは記されてはいないが、それは十分に伝わって来るであろう。
第一条では、藤孝・忠興父子が信長を悼んで元結い(髷)を切ったことに対して、一旦は光秀が腹を立てたと述べながらも、重臣の派遣を依頼している。
第二条では、恩賞として内々に摂津国を考え、上洛を待っていた。もし但馬・若狭両国が希望であれば、優先的に進上するとまで伝えている。
注目すべきは、第三条である。今回のクーデターの目的は、娘婿である忠興を取り立てるためのものであると念を押し、五十日・百日のうちに畿内を平定して地盤を確立した後は、子息十五郎や忠興に引き渡して、「何事も存ず間敷く候」つまり政治から身を引くつもりであると記している。細川氏一門の忠興を擁立することが、光秀の念頭にはあったのである。
山崎の戦いで敗退したのが、四日後の十三日のことで、戦況が芳しくない時期に認められたものではあるが、これ以前に将軍義昭との接触もあったことが確認できるので(「美濃加茂市民ミュージアム所蔵文書」「石谷家文書」)、管領家の流れを汲む忠興を重用するというのは、苦し紛れの空手形とは到底考えられない。
義昭の京都復帰と忠興の管領就任が、この段階の光秀の政権構想だったとみられる。光秀は、発作的に天下を簒奪しようとしたのではなく、室町幕府の復興という、かつて信長を恃んで実現したことを、もう一度、今度は忠興や十五郎に託そうとしたのだ〔藤田二〇一九〕。なお、光秀が義昭を奉じた時期については特別編を参照されたい。
丹波において本能寺の変は、結果として細川氏を丹後国主へと押し上げたが、忠興と玉子の夫婦間に大きな溝をつくることになった。これが、後の玉子のキリスト教入信、さらには関ヶ原の戦いにおける死へとつながる悲劇の序曲となったのである。

A:本能寺の変が起きた直後、細川藤孝は髻を切って、光秀に加勢せずの態度を明確にしました。光秀にとって、断腸の思いだったと思います。光秀は信長を斃したあとで、将軍義昭を京に戻して、細川忠興を管領にでも据える考えがあったということです。

I:つまり、室町幕府復興計画ということなのでしょうね。「細川氏」は代々管領職を務めた家系ですし、光秀自身足利義昭の側近でもあったわけですから、信長を斃して「旧に復する」という思惑があったのでしょうね。

A:そして、その流れの中で、明智玉子の悲劇が始まります。『どうする家康』の今後のストーリーともクロスオーバーしていくわけですが、劇中描かれているドラマの背景にもさまざまな人間ドラマが展開されているということです。

I:細川ガラシャの悲劇とほぼ同じタイミングで展開されるのが、家康と鳥居元忠(彦右衛門)の別れです。どちらも戦国屈指の「泣かせる」エピソード。

A:『どうする家康』ではどのような展開になるのか、楽しみですね。

●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。

●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり


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