編集者A(以下A):『どうする家康』が始まる前に静岡市の久能山東照宮にお参りしてきました。ここは元和2年(1616)に亡くなった徳川家康の遺言で、亡骸が埋葬された地に鎮座するお社。武田信玄が駿河に侵攻した際に拠点にした久能城跡という歴史もあります。
ライターI(以下I):家康ゆかりの地はたくさんありますが、まず久能山東照宮にお参りしたのは何か理由があるのですか?
A:大河ドラマで1年間家康と向き合うにあたって、境内から望む駿河湾の美しい風景をもう一度見ておきたいと思ったからです。初めてこの風景を見たのはもうずいぶん前ですが、「家康の関心は海の向うにあったのか」と感じた記憶を再確認したかったのです。
I:なるほど。
A:家康は江戸時代には「神君」とされていましたが、明治維新後には「たぬき親父」呼ばわりされるなど揺れ幅が大きい存在です。家康が遺言して葬られた地にお参りすることで、まっさらな気持ちで『どうする家康』に向き合おうと思ったのです。番組のポスターで家康が着用している金の甲冑「金陀美具足(きんだびぐそく)」も久能山東照宮蔵。境内の博物館で対面しましたが、「これが家康着用の甲冑か」と思うと身震いするほど感動しました。
徳川家康は希代の人たらしだったのではないのか?
I:さて、今回の記事のタイトルには〈『どうする家康』を20倍楽しむ〉とあります。
A:はい。まずは、これまで家康に抱いていたイメージをいったん抹消してまっさらな状態になることをお勧めします。
I:「神君」から「たぬき親父」ですものね。いったんゼロベースで家康の生涯を振り返ろうということですね。
A:この時代、人たらしというと豊臣秀吉がそうだったといわれます。でも、つらつら、家康のことを考えたときに、実は家康も希代の人たらしだったのではないかと思い至りました。
I:なるほど。確かに江戸時代には「神君」扱いだったので「人たらし」とは言いにくかったということですね。
A:はい。駿河、遠江、三河の三か国の太守で名門今川家の当主義元や、織田信長に目をかけられ、家臣団からも熱烈に慕われる存在でした。上にはごまをすって登用されても部下には高圧的にあたるなど、なかなか上からも下からも慕われるという人はいないと思うんですよね。でも、家康は上からも下からも慕われた。そもそも若いころから「たぬき親父」だったら義元や信長にかわいがられるわけもないですし、家臣からも慕われるはずもない。
I:いわれてみればそうですが、そうなるとまさに松本潤さんははまり役ということになるのではないですか?
A:そう。久能山にお参りして、遅まきながらそのことに気が付きました。家康は現代で言ったら大谷翔平のような存在だったのではないかと・・・・・・。
野村萬斎さんの演技に「大河の王道」を見る
I:本作では今川義元を野村萬斎さんが演じています。萬斎さんといえば1994年の『花の乱』で細川勝元を演じて以来の大河ドラマの登場です。
A:『花の乱』では、細川勝元の所作の美しさがひときわ印象的でした。大河ドラマ史上でも所作の美しさでいったら右に出る方はいないのではないかとも思います。ほんとうはもっともっと大河に登場していただきたかった方です。今回は今川義元役ということで出演回数はそれほど多くはないかと思いますが、「大河の王道」を象徴するような演技を見せてくれるものと期待しています。
I:その雄姿をしっかり目に焼き付けたいですね。
A:野村萬斎さんのたたずまいに注意をはらっていただけると、いっそうドラマが楽しめると思います。
【徳川四天王と徳川十六将をまずはおさえたい。次ページに続きます】