ライターI(以下I):『鎌倉殿の13人』主演の小栗旬さんとの対談がweb上で公開されたのは、12月25日。その翌日、『どうする家康』で徳川家康を演じる松本潤さんは、静岡市の久能山東照宮に参拝しました。
編集者A(以下A):家康の誕生日、しかも生誕480年、8回目の還暦という節目の「誕辰祭」に参列するためだそうです。家康に随行したのは徳川四天王の榊原康政(演・杉野遥亮)と井伊直政(演・板垣李光人)のふたりでした。
I:久能山東照宮は、元和2年(1616)に75年の生涯を閉じた徳川家康の遺言で、その亡骸が葬られた地に鎮座します。江戸時代初期に建てられた13棟もの社殿建造物が重要文化財で、特に本殿、石の間、拝殿が連なる権現造の荘厳な複合社殿が人々の目を引きますね。本殿からさらに登れば、家康が葬られた神廟もあります。
A:松本さんは、〈静岡はもう何度か訪れていますが、そのたびに、この土地でいかに家康公が愛されているか、今も大事にされているかをひしひしと感じます〉とコメントを寄せてくれましたが、家康のことを〈家康公〉と表現しているところが感慨深いです。静岡では今も〈家康公〉と呼ぶ方が多いですからね。
I:しかし、『どうする家康』への松本潤さんの取り組みというか意気込みというか、これまでの大河ドラマの主演俳優の中でも特筆すべきものがあります。すでにNHK BSの『どうする松本潤? 徳川家康の大冒険』という番組で、桶狭間、長篠・設楽が原の地に実際に赴き、東大史料編纂所の本郷和人教授の話に耳を傾け、さらに乗馬や鷹狩り、聞香など家康の趣味の領域までしっかり取材していました。
大高城から岡崎城に逃げるまでの行程をマウンテンバイクで実際に移動
A:桶狭間合戦の場面では、大高城(愛知県名古屋市)から岡崎城に逃げるまでの行程を松本さんがマウンテンバイクに乗りながら、ずいぶん長い距離移動していました。この場面を見て正直「ここまでやるか」とびっくりしました。桶狭間の関連史跡は私たちも取材をしたことがありますが、さすがにこんな周り方はしていない。
I:家康(桶狭間当時は元康)が水を補給したと伝承される地や、最短距離で岡崎領内に入らず、遠回りをしたというルートを実際に走破していましたね。
A:「そんなことしなくても演じられるのでは?」 ではないんですよね。『どうする松本潤?』で取材したことは絶対に血肉となって本編に還元されると思います。それがどのようなものになるのか期待しかありません。
I:当欄では繰り返し、『どうする家康』では、「神君」でも「たぬき親父」でもない等身大の家康の描かれ方に注目していることを表明しています。「実は家康こそが希代の人たらし」だったのではないかとも考えています。
A:「人たらし」というか、人間的な魅力があったればこそ、今川義元や織田信長にかわいがられ、さらに家臣団からも慕われたんだと思います。現代でも、優れたリーダーは一瞬で人の心を魅了する術を心得ています。この場合の「術」はテクニックとしての「術」ではなくて天性のもの。おそらく家康はその術を体得していた人物だったと睨んでいます。
I:成功者には成功するだけの理由があるということですね。『鎌倉殿の13人』で源頼朝(演・大泉洋)が築いた武家政権をほんとうの「平和な政権」に導いたのが家康です。歴史のダイナミズムを感じるドラマになるのではと、楽しみにしています。
A:12月25日にweb上で配信された『小栗旬・松本潤対談』はそのことを意識して設定されたのではないかと推察します。日本はどういう過程を経て平和な時代になったのか――。その物語がどう描かれるのか。第1回の放映は2023年の1月8日になります。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』、鎌倉歴史文化館学芸員の山本みなみ氏の『史伝 北条義時』などを担当。初めて通しで見た大河ドラマが『草燃える』(1979年)。先日、源頼朝のもう一人の弟で高知で討たれた源希義の墓所にお参りした。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2022年1月号 鎌倉特集も執筆。好きな鎌倉武士は和田義盛。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり