はじめに-前田利家とはどんな人物だったのか?

前田利家は、織田信長に仕えた戦国武将です。槍の名手として知られており、「桶狭間の戦い」や「姉川の戦い」など、数々の戦で戦功をあげています。圧倒的な強さを誇った利家は、信長から厚い信頼を寄せられていたそうです。

その後、信長から柴田勝家の監視役に任命された利家は、そこでも華々しい活躍を見せ、武名をあげました。のちに、加賀百万石の初代大名として、北陸地方を治めることになった利家。順風満帆な人生を送っていたようにも思えますが、実際の前田利家はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、豊臣家臣の中で圧倒的な軍事力を持つ“五大老”の一人(演:宅麻伸)で、家康も信頼を寄せる、秀吉の若きころよりの友人として描かれます。

目次
はじめに―前田利家とはどんな人物だったのか?
前田利家が生きた時代
前田利家の足跡と主な出来事
まとめ

前田利家が生きた時代

前田利家は、天文7年(1538)に尾張国荒子村(現在の愛知県中村区)に生まれます。幼少期は血気盛んな性格だったため、犬千代という幼名がつけられたそうです。幼い頃から信長に仕え、彼と行動を共にしていたと考えられています。

若い頃は派手なものを好み、非常に喧嘩早かったことでも知られている利家。信長にとっては、意気投合できる良き理解者だったのかもしれません。

前田利家像 
経済的才覚もあり、具足櫃(具足をしまうための入れ物)には常にそろばんを入れていたとされる。

前田利家の足跡と主な出来事

前田利家は、天文7年(1538)に生まれ、慶長4年(1599)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

信長に仕える

前田利家は、天文7年(1538)、尾張国荒子城主・前田利春(別名・利昌)の次男として生まれます。幼少の頃から信長に仕え、彼を支えていました。大胆不敵な性格で武勇を誇り、「槍の又左衛門(またざえもん)」という異名をつけられるほど、圧倒的な強さで知られていたそうです。

しかし、血気盛んな性格が災いし、信長の怒りを買ってしまいます。利家が大切にしていた笄(こうがい、結髪道具の一種)を、信長に仕えていた同朋衆(将軍のそばで雑務や芸能をする者)が盗んだことに腹を立て、信長の面前で惨殺したという「笄切り」のエピソードが有名ですが、真相はわかっていません。

順風満帆な人生から一転、織田家を追放されてしまったのです。浪人の身となった利家は、信長の許可を得ずに「桶狭間の戦い」に参加して功績を残し、信長の許しを得ようとしました。さらに、美濃国(現在の岐阜県)の斎藤龍興(たつおき)と戦った「森部の戦い」にも、利家は無断で参戦し、数々の功績をあげることに。

これには信長も、「城一つ分の功績に等しい」と利家を称え、晴れて利家は織田家に帰参することができたのです。

勝家の監視役に任命される

その後、信長の命で前田家の当主となった利家。槍の名手として「姉川の戦い」や「長篠の戦い」など、信長の主要な戦に参戦し、信長を献身的に支え続けました。

天正3年(1575)、信長から越前国(現在の福井県)を与えられた柴田勝家の監視役として、佐々成政(さっさ・なりまさ)・不破光治(ふわ・みつはる)とともに、府中(現在の福井県越前市)に配されることに。そして同年、能登(現在の石川県)を与えられ、利家は国持大名となったのです。

秀吉に仕え、加賀百万石の領主となる。次ページに続きます

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