認知症とは脳の病気、障害などさまざまな原因で認知機能が低下し、日常生活をする上で支障が出ている状態(およそ6か月以上)のこと。研究が進むとともに、ケアの方法はもちろん家族の心構えやサポート体制など、認知症の常識は今、大きく変わりつつあります。実際、30年前に比べるとその進行スピードは3分の1にまで緩やかになっているそうです。
「女性セブン」で4年間長期連載していた人気記事をまとめた『151人の名医・介護プロが教える認知症大全』は、「もしかして?」と思ったときから最期の「看取り」まですべてを網羅している一冊です。東京慈恵会医科大学教授で、認知症専門医・日本認知症ケア学会理事長の繁田雅弘さんは「“何もわからなくなって人生終わり”というのは大誤解です」と言います。
今回は、せやクリニック副院長で認知症専門医・神経内科専門医の川口千佳子さんへの取材をもとにした、日本人に一番多いと言われるアルツハイマー型認知症について、ご紹介しましょう。
5人に1人が認知症になると言われる時代。もはや他人事ではありません。自分らしい人生を生きるための認知症との新たな向き合い方を知ることから、始めてみませんか。
取材・文/斉藤直子
同じ話を繰り返す、出来事を丸ごと忘れる…は要注意
Point
(1)記憶障害から始まりゆっくり進行する
(2)工夫しながら生活を続けることが何よりの治療
(3)家族が支えるべきは目に見えない不安感
脳内に「アミロイドβ ベータ」と「タウ」というたんぱく質が蓄積して神経細胞を徐々に死滅させるアルツハイマー病。進むにつれて脳の認知機能が低下してさまざまな症状を発出し、日常生活に支障が出てきた状態がアルツハイマー型認知症です。日本人の認知症の約7割を占めています。
特徴的なのは「海馬」と呼ばれる記憶に関わる部位が最初に障害され、「記憶障害」から始まること。海馬は入ってきた情報をキャッチして一時的に保管する部位で、障害されると「ついさっき」の出来事を覚えるのが苦手になり、すっぽり抜け落ちたようになります。今していた話を初めてのように繰り返したり、ついさっき食事したこと自体を覚えていなかったりと、単なる老化とは違う違和感に周囲が気づくきっかけにもなります。
しかし認知症になる以前のことは覚えています。特に言葉の意味や勉強して得た知識などの「意味記憶」、家事作業など体で覚えた「手続き記憶」などは比較的長く保たれ、「エピソード記憶」と呼ばれる出来事の記憶は古いことは意外によく覚えていて、思い出話は充分楽しめます。また認知症になってからでも強い関心事は記憶に残ることもあります。
情報が「記憶」される過程(イメージ)
「イソギンチャクの触手」に例えられる海馬が情報をつかまえ一時保管。重要な情報は大脳皮質にある「記憶の壺」へ。忘れても思い出せるのが若いときの正常な脳。老化して海馬が衰えると一度にたくさんつかまえられなくなる。
認知症になると海馬は病的に衰え新しい情報はほとんどつかまえられないが、壺の中の記憶は無事。進行すると壺自体が壊れて昔の記憶も少しずつ失われる。
高齢者の5人に1人が認知症になる時代
厚生労働省によると65歳以上の認知症の人の数は2020年時点で約600万人と推定、2025年は約700万人(高齢者の5人に1人)、MCI(軽度認知障害)などの予備軍を含めると4人に1人が認知症になると予測されている。
90代は約半数以上が認知症
認知症の罹患率は年齢を重ねるごとに高まることがわかっている。厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業報告書(2013年)によると、70代後半で男性11%、女性14%が認知症だが、80代後半になると男性35%、女性44%、90代前半で男性49%、女性65%、95歳以上では男性の51%、女性の84%と急増している。
症状が出てくる順番はだいたい決まっている
アルツハイマー病で脳が障害されていく順番は概ね決まっているので、出てくる症状(「中核症状」)は下図のような経過をたどります。
アルツハイマー型認知症のたどる経過
『軽度』では記憶障害に始まり、時間や場所がわからなくなる「見当識障害」、計画して実行することができなくなる「実行機能障害」、何をするにも時間がかかる「理解・判断力の障害」、思いを言葉にする・相手の言葉を理解するのが苦手になる「失語(言語障害)」が出て、次第に交通機関利用や家計管理、趣味などの複雑な行動「手段的日常生活動作」が苦手になります。同じ話を繰り返す、散歩先で迷子になる、排泄を失敗する(『高度』の失禁とは別)など、生活の中で失敗が重なり、家族や周囲の人との関係もギクシャク。そのストレスから妄想や暴力、徘徊といった二次的な症状「BPSD(行動心理症状)」が発出しやすくなるのもこのころです。
『中等度』になると食事・入浴・排泄などの「基本的日常生活動作」に介助が必要になり、運動機能に問題がないのに生活の動作ができない「失行・失認」が現れ、『高度』になると脳機能の低下による「失禁」「歩行害」「嚥下(えんげ)障害(※飲み込めない)」が出て、最終的には寝たきりや人工栄養が必要な状態に至ります。ただ基本的にゆっくり進行するので、高齢になってからの発症では急速に『高度』まで至らずにすむこともあります。
中核症状とBPSD(行動心理症状)
認知症の症状には必ず出る「中核症状」と、中核症状による不安やストレスが引き金になって出る「BPSD」がある。BPSDは生活環境の整備や対処次第で軽減・解消できることもある。
糖尿病、歯周病でも認知症リスク増!
アルツハイマー病の直接の原因はわかっていないが、糖尿病や歯周病がアミロイドβの蓄積に関わることがわかっている。糖尿病に関してはアルツハイマー型認知症のリスクを約1.5倍上げる(脳血管性認知症は約2.5倍)。70代で発症する認知症はその人が40〜50代のときから異常なたんぱく質が溜まり始めると推定されるので、中年期の生活習慣病対策は認知症の予防ともいえるのだ。
高齢の認知症は体の老化も合わせてケア
高齢になると筋力や足腰の動きなど身体能力が低下することも忘れてはいけない。たとえば認知症『軽度』の頃によく見られる迷子や排泄の失敗は認知症の影響もあるが、出先で疲労困憊の末に帰れなくなる、トイレまで歩くのに時間がかかったり体の痛みで下着の上げ下げに手間取ったりといったことが原因の場合も少なくない。認知症だけを見るのではなく、老いた体全体を見てケアを。
診断を受けると多くの人が症状好転!
認知症は大きな「不安」との闘いともいえます。今までできていたことができなくなるのは自分自身の根幹を揺るがすこと。「なぜこんなことが? これからどうなるの?」という不安が常に堂々巡りしています。そしてこの不安感がまた脳には大きなストレスで、妄想や興奮などのBPSDの引き金になり、中核症状も強く出るなど悪循環に陥ります。一方でこんなこともあります。家族に説得されて渋々受診し、いざ認知症と診断されると、ほとんどの人が診断前より症状が落ち着いたり好転したりするのです。拠りどころのない不安は底なしですが、診断がついて現実的になることで一歩前には進める。本人・家族とも不安をうまくかわし、あっけらかんと構える人たちほどBPSDが少なく穏やかなのです。
家族も大変な思いをすると思いますが、本人の不安に思いを馳せて寄り添うことが互いに楽になる近道。何ができないのかを丁寧に探って手伝い、本人のペースに合わせて待つなど、小さな工夫の積み重ねで認知症の人の生活は回ります。いろいろな刺激のある日常生活こそが脳の機能を高め、結果、症状の進行を緩やかにするのです。さらに生きがいを持って暮らすと認知機能低下が抑えられることもわかっています。
認知症の薬は4種類。漢方薬などの処方も
今のところ認知症を根治する薬はなく、現在日本で承認・処方されているのは中核症状の改善や進行を遅らせるための「症状改善薬」4種類。アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症にも使われる内服薬『アリセプト(製品名)』(ドネペジル〈薬品名〉)、軽度・中等度のアルツハイマー型認知症に使われる内服薬『レミニール』(ガランタミン)、貼り薬タイプの『イクセロンパッチ/リバスタッチパッチ』(リバスチグミン)、中等度・高度のアルツハイマー型認知症に使われる『メマリー』(メマンチン)。この4種類から症状や副作用なども考慮しながら使い分けられます。
BPSDは周囲の人の対処やリハビリなどによる非薬物療法が基本ですが、強い症状を緩和する向精神薬や漢方薬もあり、どうしてもコントロールできない場合には入院治療という方法もあります。認知症は進行する病気なので状態は少しずつ変化し、どんなに環境を整えても家族が心を砕いても介護が困難になることはあります。医師や介護のプロと協力しながら寄り添っていきましょう。
病気進行予防に期待できる新「治療薬」も
アルツハイマー病の進行を抑える初の治療薬「レカネマブ」が2023年中の承認を目指して申請中(米国では同年7月承認)。続いて同じく「ドナネマブ」も2023年中に申請予定。現在、使われている症状改善薬は神経細胞の機能を助けて症状の悪化を遅らせる効果のみだが、「レカネマブ」「ドナネマブ」はアミロイドβを除去するように働き、神経細胞が死滅するのを防いで進行を抑制する。発症前の軽度認知障害の段階や認知症の早期に投与すれば、アルツハイマー病の進行予防が期待できる。
進行はさらに緩やかな高齢者タウオパチー
アルツハイマー病のように記憶障害から始まるがあまり進行しない認知症がいくつかある。80代の高齢での発症が多いことから「高齢者タウオパチー」と呼ばれ、日常生活の動作にはあまり支障が出ないのが特徴。代表的なのは嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症。認知症診断検査に使われる「長谷川式スケール」考案者の精神科医・長谷川和夫さんが、講演活動などを精力的にこなしながら88歳のとき、嗜銀顆粒性認知症発症を公表したことでも知られている。
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『151人の名医・介護プロが教える認知症大全』
監/繁田雅弘 監/服部万里子 監/鈴木みずえ 文/斉藤直子
小学館 2200円(税込)