家康は信長殺しを考えていたのか?
I:家康は信長殺しを考えていたのでしょうか。
A:これもまた受け売りになりますが、よく光秀の領地を石見などの遠方にする計画があったといわれています。これは、信長が自らの小姓上がりの近臣に京都近くの領地を与え、旧臣には遠方の領地を宛がう計画の一環のようです。光秀だけでなく秀吉や柴田勝家、丹羽長秀らも対象になったと思われます。とすれば、三河、遠江、駿河三か国に加えて武田旧領も手中におさめていた家康とても安泰ではない。
I:実際に信長殺しを考えたかどうかはともかく、動機はあったということですね。
A:そして、光秀をいわゆる「三日天下(実際には11日)」に終わらせたのが羽柴秀吉。中国大返しは事前に「変」を察知していなければ、できない芸当だったともいわれています。以前、その検証のために、中国大返しのルートのポイント、ポイントを確認しようと現地取材をしたことがあります。兵庫県内を歩いていたときに、よっぽど疲れた風体だったのでしょうか。通りかかった地元の方が「乗っていかないか」と声をかけてくださいました。
I: そんなことがあったのですか。いい思い出ですね。
A:その時感じたのは、けっこう山深い場所もあったのだなということです。さてさて、本能寺変直後の家康には、三河までの逃避行という苦難が待ち受けています。
I:いったいどういう展開になるのですかね。予告映像を見ると、まさかのあの人が戻ってくる感じですが、楽しみですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。
●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり
藤田達生著『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(小学館)