はじめに-森乱とはどんな人物だったのか?

森乱(もりらん ※森蘭丸と呼称されることが多い人物)は、幼少期から信長の小姓として仕えた人物です。容姿端麗で、武芸や学問に優れていたという逸話が数多く残されています。信長は、忠誠心が強く、真摯な仕事ぶりを見せる森乱に、絶大な信頼を寄せていたそうです。

戦の経験に乏しく、小姓の身でありながら、信長の秘書のような役割も果たしていたとされる森乱。洞察力に長け、何事にも臨機応変に対応できる優秀な人物をイメージしてしまいますが、実際の森乱はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、「森乱」の名で登場。その聡明さと美貌から、若くして信長の近習となった人物(演:大西利空)として描かれます。

目次
はじめに―森乱とはどんな人物だったのか?
森乱が生きた時代
森乱の足跡と主な出来事
まとめ

森乱が生きた時代

森乱は、永禄8年(1565)に生まれます。森乱の父・森可成(もり・よしなり)は、信長の家臣として、若い頃の信長を支えていた人物でした。森乱が生まれた頃、信長は今川義元に打ち勝ち、武将として頭角を現していました。森乱も、父と同じく織田家に出仕し、信長に忠誠を誓うこととなったのです。

「森蘭丸長康」(『太平記英勇伝』より)

森乱の足跡と主な出来事

森乱は、永禄8年(1565)に生まれ、天正10年(1582)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

15歳で信長に仕える

森乱は、永禄8年(1565)、信長の家臣である森可成の三男として生まれます。美濃国(現在の岐阜県)金山に生まれた森乱。世に知られる蘭丸という名前は幼名で、本名は成利(なりとし、一説には長定)です。また、「蘭」という字ではなく、本来は「乱」の字を当てるとされています。

わずか15歳にして、信長の小姓として仕え始めた森乱は才覚があり、『信長公記』によると天正7年(1579)頃から、奏者(主君が、家臣などに褒賞を与える際の取り次ぎ役)として、重用されていたそうです。

小姓といえば、主君の身の回りの世話など、主に雑用係として立ち回ることが多いものです。しかし、森乱は、信長から重要な任務を任されることも多々ありました。年齢だけ見ればまだ幼いですが、信長は森乱のことを家臣として、非常に頼りにしていたのではないかと考えられます。

「本能寺の変」と儚い最期

天正10年(1582)3月、信長は武田氏の諸城を次々と攻め落とし、武田勝頼を自害に追い込みました。勝頼が亡くなったことで、武田氏は滅亡。信長は、旧武田領を分割し、美濃国岩村5万石を森乱に与えました。

ちなみに岩村の地にあった岩村城は、江戸時代の城の中で日本一標高が高い場所に築かれていた山城として、「日本三大山城」の一つに数えられています。霧が発生しやすい地理条件であったため、「霧が城」と呼ばれることもあるそうです。森乱の城代によって岩村城は改造されたといわれています。

信長とともに、18年という短い生涯に幕を閉じる。次ページに続きます

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