武田討伐から数か月後の天正10年(1582)6月、信長は毛利氏と戦っていた秀吉からの援軍要請を受け、その道中で京都の本能寺に宿泊しました。この時、本能寺には森乱のほかに、信長が招いた客人や使用人なども複数いたそうです。
その晩、外の騒々しさに目を覚ますと、大量の軍勢が本能寺を取り囲んでいました。森乱は、明智光秀が謀反を起こしたということを大急ぎで信長に伝え、信長を守るために必死に戦ったそうです。しかし、用意周到な明智軍になす術もありませんでした。
そして、森乱は信長とともに、18年という短い生涯に幕を閉じたのです。
信長に愛された森乱
眉目秀麗で非常に頭が良かったとされ、森乱に関する逸話は数多く存在します。最も有名なものの中に、「森乱が信長の切り終わった爪を探した」という逸話があります。当時、爪や髪などは呪術に使われることもあり、信長が切った爪の数が足りないことを心配して、必死に探したという逸話です。
このような逸話が複数残されていることから、非常に真面目で忠誠心の強い人物であったことがわかります。信長は細かいことによく気が付き、献身的に自分を支えてくれる森乱のことを、大変信頼していたのではないでしょうか?
まとめ
15歳という若さで信長の小姓となり、最期まで信長を支え続けた森乱。他者を思いやれる、心優しい人物であったと考えることができます。非常に優秀でありながら儚く散っていった森乱の生涯は、今日もなお、多くの人々を惹きつけてやまないのです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
『日本大百科全書』(小学館)