はじめに-千代女とはどんな人物だったのか?

千代(モデルは望月千代女)は、戦国時代に歩き巫女として布教活動を行っていたとされる女性です。謎に満ちた人物で、武田氏が利用していた忍者の一人であると言われることもあります。しかし、資料が乏しいため、どのような活動を行っていたのかについては、はっきりしていません。

歩き巫女という特殊な職業を活かし、全国で布教活動を行うかたわら、様々な情報を入手していたとされる千代女。正体不明のミステリアスな女性をイメージしてしまいますが、モデルとなった望月千代女はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、全国を巡って各地の情報を入手していた謎多き巫女(演:古川琴音)として描かれます。

目次
はじめに―千代女とはどんな人物だったのか?
千代女が生きた時代
千代女の足跡と主な出来事
まとめ

千代女が生きた時代

千代女は生没年不詳で、出身地もわかっていません。彼女が生きた時代は、有力武将たちが互いの勢力拡大をかけて争う、群雄割拠の時代でした。夫が戦死したことで、巫女になったと伝えられている千代女。彼女は、歩き巫女として全国で宗教活動を行なうかたわら、しばしば諜報活動も行っていたとされています。

千代女の足跡と主な出来事

千代女は生没年も出身地も不詳です。謎に包まれた人物ですが、その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

夫の戦死後、歩き巫女として活動

千代女は、望月城(現在の長野県佐久市にあった城)の城主・望月盛時(もりとき)の妻だったと考えられています。しかし、永禄4年(1561)の第四次「川中島の戦い」で夫は戦死してしまうことに。未亡人となった千代女は、信濃国(現在の長野県)と甲斐国(現在の山梨県)の神子頭(みこがしら)に任命されました。

千代女を神子頭に任命した人物が、武田信玄であると言われることもありますが、こちらには諸説あります。神子頭となった千代女は、自分と同じように身寄りのない女性を集め、歩き巫女としての活動を開始したそうです。

歩き巫女とは、特定の神社に所属せず、全国を渡り歩きながら祈祷や口寄せなどを行った、女性の民間宗教者のことです。中世から近世にかけて、民間宗教者は歩き巫女以外にも数多く存在しました。千代女がいつ頃まで歩き巫女をしていたのかは不明ですが、夫の死後は宗教活動を行って生計を立てていたと考えられます。

望月城跡(長野県佐久市)

千代女は忍者だったのか? 次ページに続きます

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