千代女は忍者だったのか?
全国各地を巡って、宗教活動をしていたとされる歩き巫女。当時、歩き巫女のような民間宗教者は珍しい存在ではありませんでした。そのため、一般人の往来が制限されていた戦国時代でも、自由に移動することができ、特に怪しまれることもなかったそうです。
武田氏は、歩き巫女に忍者としての特性を見出し、彼女らを「くノ一(女性の忍者)」として活用していたと言われていますが、真相ははっきりしていません。ただ、武田氏は透波(すっぱ)や三ツ者(みつもの)と呼ばれる忍者集団を統率していたとされるため、くノ一集団を組織していてもおかしくはなさそうです。
また、歩き巫女の集団は主に若い女性で構成されていたということもあり、周囲に不信感を与えることなく、自然に情報を入手することができそうですね。民間宗教者として全国各地に赴くことができた点と、現地の人々と自然に交流することができた点が、忍者ではないかと言われる理由であると考えられます。
まとめ
歩き巫女として活動していたとされるも、その素性も狙いも謎に包まれているミステリアスな千代女。武田氏に仕えた忍者という説はあくまで仮説であり、裏付けがあるわけではありません。もし、本当に歩き巫女を忍者として活用していたとすれば、ほかの民間宗教者のことも、同じように活用していたと考えることができます。
真偽は定かではありませんが、自由な往来が可能だった民間宗教者であれば、周囲に怪しまれることなく、あらゆる情報を入手することができたと考えられるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
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