ライターI(以下I):信玄(演・阿部寛)亡き後の武田家が、激しく徳川領に攻め込んできている様子が冒頭で描かれました。
編集者A(以下A):諏訪原(すわはら)城や高天神(たかてんじん)城が台詞の中で登場しました。諏訪原城は静岡県島田市、高天神城は掛川市になります。地図を眺めながら、甲斐、駿河、遠江、美濃などとの距離感を確認すると面白いですね。本国甲斐を後にして、遠江まで進軍してきた武田勢は、どういう移動ルートで、どうやって寝泊まりしていたのか……とか。さらに、武田勢は遠江だけではなく、三河の足助城まで攻め込んで来たと説明されました。こちらは愛知県豊田市です。
I:地図を見ると高天神や諏訪原と足助はけっこう離れていますよね。ちなみに、徳川家康(演・松本潤)の浜松城と嫡男信康(演・細田佳央太)が在する岡崎城はおおよそ66キロの距離があります。
A:それにしても、武田勝頼(演・眞栄田郷敦)の面構えがいいですね。劇中では、信玄形見の兜と戦装束の前に坐して信玄に拝する様子が描かれていました。偉大な父信玄に負けじという思いが伝わってきましたが、一気に戦線を広げすぎたのでは? とも感じます。
I:父を超えたいという思いと同時に、傍流から大将になっているという気負いもあるのかもしれないですね。
武田徳川の諜報戦の行方は?
I:さて、今週のトピックスは、武田と徳川の間で繰り広げられた諜報戦ではないでしょうか。事件の首謀者でキーマンの大岡弥四郎(演・毎熊克哉)が初登場しました。
A:もう少し前から登場させておいた方がよかったのではないかとも思った方もいるかもしれません。ここでは歩き巫女の千代(演・古川琴音)が暗躍している様子が描かれました。大略『三河物語』の記述をベースにしているようです。大岡弥四郎は『三河物語』では大賀弥四郎と記されていますね。
I:展開が早くてびっくりですが、山田八蔵(演・米本学仁)は実在の人物で、謀反の情報を信康側に伝えたとされる人物ですね。怪我をしていた山田八蔵に瀬名(演・有村架純)が自ら膏薬を塗ってあげたことで、八蔵が心変わりしたという設定でした。
A:攻めてくるのを承知の上で、大岡弥四郎らを逆にはめる作戦をとりました。血判状よりも「軟膏を塗ってくれた主君の正室」を選んだという設定には、「血判状の血判がそんなに軽いものなのか?」とか、「血判状に名を連ねておきながら、武士の風上にもおけない」とかいろいろな意見が出てくると思いますが、山田八蔵のキャラが面白かったですよね。
I:私は単純に「三河武士にそんなやわな人間はいない!」と思いました。
A:ただ、神仏に誓った起請文ですら反故にされることも多かった時代です。山田八蔵が寝返ったおかげで、大岡弥四郎事件は未遂に終わったということが『三河物語』などにも記されているわけですから、それはそれでいいじゃないですか。弥四郎は顔だけを残して生きたまま土中に埋められたとも伝えられます。
I:道行く人にのこぎりで首を引かせたというんですよね。なんと残酷な! と思った記憶があります。
A:一方で心変わりをした山田八蔵の命は助かりました。
I:寝返ったとはいえ、こんな謀議に加わっていた八蔵を許すとは! もしや山田八蔵は最初から家康が送り込んだ「密偵」だったのではないかとも思いました。
A:ああ、それはそうかもしれないですね……。狐と狸の化かし合いのような感じですよね。
I:真相はどうなんでしょうね。
もっと時代活劇を見たい!
A:真相ですか……。劇中で、「神の君が」とことさら強調されているように、江戸時代の徳川家康は「神様」でした。その過程で家康にとって都合が悪いエピソードは抹消されたかもしれません。ところが、「徳川の世は悪かった」という「明治維新史観」の時代には、こともあろうに「たぬきおやじ」呼ばわりされる始末です。いったい何が真実なのか、近年どんどん新たな説が提唱されていますが、まだ定まりきっていません。40年前の大河ドラマ『徳川家康』は山岡荘八さんが戦後間もない1950年から17年にわたって執筆した『徳川家康』全26巻を原作として描かれました。今回の『どうする家康』は原作なしのオリジナル脚本。わずかな時間でここまでまとめあげるのはやはり凄いとしかいいようがないですね。
I:そうした流れの中で、家康家臣団の一部が岡崎に集結します。
A:瀬名の寝所などでは往年のチャンバラ時代劇や歴史活劇を彷彿とさせる立ち合いが展開されました。石川数正(演・松重豊)、本多平八郎(演・山田裕貴)、榊原小平太(演・杉野遥亮)や平岩七之助(演・岡部大)などに加えて、井伊虎松(演・板垣李光人)など、なかなかスリリングな流れでしたね。
I:なんだか、往年の時代劇を見ているようでした。
A:「あの場に家康家臣団が集結するわけないじゃないか」という感想を持った方がいるかもしれませんが、大河ドラマは「壮大なるエンターテインメント」。民放の時代劇がほぼ消滅している中で、若手有力俳優にああいう場面を経験させるシーンを大河ドラマファンとしてはあたたかく見守りたいと思います。単純に面白かったですし。
I:時代劇文化の継承という意味では大河ドラマは「最後の砦」的な存在ですよね。文化の継承という志を持って民放で時代活劇をスポンサードする覇気ある企業の出現を待ちたいです。
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