ライターI(以下I): 『どうする家康』第20回では、岡崎で松平信康(演・細田佳央太)に仕えていた大岡弥四郎(演・毎熊克哉)が武田勝頼(演・眞栄田郷敦)に調略されて寝返り、クーデターを起こす様子が描かれました。
編集者A(以下A): そのクーデターを未然に防ぐきっかけとなったのが山田八蔵重英(演・米本学仁)です。あまり有名ではありませんが実在の人物です。
I:家康が江戸幕府を成立させるまでに、ほんとうに多くの人物が活躍していたんですね。
A:山田八蔵は身体はでっかいですが、心根は優しそうなキャラクタ―。合戦で負った傷に瀬名(演・有村架純)が膏薬を塗ってくれたことで、心変わりしたという設定でした。
I:本作の瀬名のような人に膏薬を塗ってもらったら、たいていの家臣は「落ちる」と思うのですが、いかがでしょうか。
A:これまで瀬名=築山殿といえば「悪女寄せ」のキャラクターとして描かれるのが常でした。ところが本作では、可憐で聡明で、気立ても良く、昭和時代ならば「うちの嫁に」という声が殺到するようなキャラに設定されています。
I:今後の展開がますます気になりますね。さて、そうした中で、山田八蔵を演じた米本さんのコメントが寄せられました。米本さんは、日本人ながら単身アメリカに渡り、向こうで俳優として活躍していた俳優さんで、映画『47RONIN』などにも出演されています。今回、八蔵役の話がきた時のことを振り返ってくれました。
お話をいただいてからまず、八蔵の足跡を辿るために、愛知県に向かいました。山田八蔵の塚と云われている場所を訪ねてみたら、こんもりと土が盛られていて、一本の道が二つに別れる場所でした。そこで、手を合わせ、八蔵の塚をじっと眺め、一つ一つの呼吸を噛み締めながら佇んでいると、この道で良いのか、何をするべきか、八蔵は常に迷っていたんじゃないかな、そんなことを感じました。優柔不断と言えばそうなのですが、最後まで不安の中にいて、迷いながらも進んだ八蔵。大岡弥四郎をはじめ、仲間たちの凄惨な死に様は、決して忘れられるものではなく、その上で自分の命を燃やすべき場所を心の奥底で求めていたのではないでしょうか。
A:なるほど。決して登場回数の多くない役柄にもかかわらず、ゆかりの地をめぐったわけですね。
I:八蔵の塚というのは、愛知県安城市にある八蔵の屋敷跡と伝わる地にある塚のことかと思われます。ああ、米本さんは三河の地にしっかりと足を運んでくださったのだと感じ入りました。そして、八蔵ゆかりの地だけではなく、瀬名や信康ゆかりの地にまで足を伸ばしたそうです。
八蔵だけでなく築山殿、そして徳川信康さんゆかりの地にも足を運びました。築山殿の人物像には諸説あり、あまりいい描かれ方をしていないこともあります。けれど八柱神社で出会えた「築山御前首塚」の石碑に書かれていた『…されど生害に値するほどの罪悪であっただろうか…』この一文から石碑を建てた人たちの想い、築山殿に向けられる眼差しに触れることができた気がします。それが山田八蔵を生きる上で一つのコンパスとなりました。八蔵が常に抱いていた不安や迷い、その苦悩に寄り添って下さる築山殿の人となりを感じました。
A:八柱神社というのは、愛知県岡崎市にある神社で築山殿の首塚があります。同じ岡崎市内には信康の首塚がありますから、そちらも回ったのでしょう。築山殿の碑は昭和50年代に当時の宮司が建立したものです。そこまでしたとなれば、瀬名から膏薬を塗ってもらうシーンも心に響くものになりますね。
I:もっと早くに教えて欲しかったですね。そして、米本さんはもうひとつ撮影秘話を明かしてくれました。
有村架純さんはとても不思議な方でした。飄々と淡々としているようで、一度動き出すと感覚の塊がそこにあるようでした。合間にお話させて頂いた際もとってもおもしろくて忌憚のない方で、接していてしみじみ好奇心が湧いてくるような。ある日、前室で待機している間、有村さんと古川琴音さんと3人で話していたのですが、ふと有村さんがいなくなって、不意に戻られた時に「これどうぞ」とデコポンを僕と古川さんにくださいました。それが本当に本当に嬉しくて大袈裟でなく頬擦りしながら泣けてきました。家に帰っても何度も手に取り惜しみながらも大切にそのデコポンを頂戴しました。甘さも酸味もギュッと詰まった最高に美味しいデコポンでした。劇中でも貝殻に詰まった軟膏、それを包んでいる手拭いを頂戴しました。身体が痺れるくらい嬉しかったです。劇中にくださった軟膏と手拭い、撮影の合間に頂いたデコポン、どちらも山田八蔵、米本学仁にとって格別なものとなりました。
I:一生心に刻まれるデコポンになりそうですね。なんだかうらやましいです。
A:何はともあれ、山田八蔵という人物を「記憶に残る」人物になるように演じてくれた米本さんに感謝ですね。本当に本当に熱演でした。
I:安城市の八蔵の塚からパワーをもらったのですよ。八蔵も喜んでいると思います。ちなみに八蔵は、家康の天下取りを見届けることなくこの世を去ります。子孫も大名にはなっていません。
A:なんだか感慨深いですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。
●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり