ライターI(以下I):第8回は、冒頭で『論語』を素読する次郎三郎時代の家康(演・松本潤)に今川義元(演・野村萬斎)が話しかける場面から始まりました。その中で〈民、信なくんば立たず〉というくだりが飛び出します。
編集者A(以下A):ざっくりいうと、「政でもっとも肝要なのは、民との信頼関係」ということですね。信頼関係がなくなったら国は大変なことになる、と言っているわけです。2年前の『青天を衝け』では、主人公渋沢栄一が『論語』好きだったことで、『論語』の関連書籍がいくつか刊行されましたから、「お、この部分を次郎三郎に語らせるのか」と感じた方もいたのではないでしょうか。
I:〈この国の主は誰ぞ?〉と今川義元が次郎三郎に問いかけました。次郎三郎は〈太守さまです〉と答えますが、義元に否定され〈京の将軍さま! いいえ、天子さまにございます〉と改めます。「家康が勤王であった」という伏線でしょうか。
A:なにはともあれ、回想とはいえ、今川義元が再登場は嬉しいです。野村萬斎さんの重量感あふれる佇まいにうならされますし、家康の人生で三大危機といわれる「三河一向一揆」のくだりで、「回想義元」が登場するとは、もしや、今後の三方ヶ原の合戦や伊賀越え、さらには関ケ原合戦などなど、節目節目で義元が登場することになるのでは! とつい期待してしまいますね。
I:確かに出てきたら楽しそうですけど、さすがにそこまではないのではないでしょうか。さて、寺内町では、信徒らが、踊り歌う姿が描かれました。〈♪ あほかたわけか殿さんか〉というのも面白いですし、韻を踏んでいる〈♪ 一枚、二枚、ナンマイダー〉というのはラップの走りですかね? 寺院での声明(しょうみょう 註:仏教儀礼で用いられる声楽曲)もそうですが、このころの念仏だったり声明は、ヒーリングミュージックの役割を果たしていたのでは? と思ったりしました。
A:そうですよね。美声の僧侶の声明はうっとりしますものね。そして、「踊りや舞」についても一言。天照大神が隠れた際に天鈿女(アメノウズメ)が神々を笑わせた舞や、一遍上人の踊念仏、応仁の乱の後に出現した風流踊り、幕末の「ええじゃないか」など、日本史の節目に、「踊り」に熱中する人々が出現します。やっぱり時代が変革していく潮流があったんでしょうね。
A:現代にも、そんな「踊り」が発生するかもしれません。もし発生するなら場所はどこになるのでしょうね。
夏目広次の扱いがなぜ雑なのか?
I:さて、本證寺の空誓(演・市川右團次)が、〈仏敵だ!〉といって戦意を高揚させていました。「不入の権」、つまり無税の許しを得ていたものを家康が翻したことがきっかけとなったという設定でした。
A:市川右團次さんの空誓上人はすごいというか、うまいというか、絶妙というか、こういう人が実際に扇動したら、皆コロッと落とされるのではないかという風に感じてしまいました。
I:実際の空誓上人もそんなキャラクターだったのではないですかね。
A:さて、渡辺守綱(演・木村昴)が、一向宗側につきますが、〈殿をなぐっちまったからな〉と主張しました。思わず「そんなわけないだろっ」とテレビに突っ込んでしまいました(笑)。主君に弓引くという葛藤はあったのかもしれませんが、実際には信仰心の厚さからでしょう。理屈抜きに主君を捨てて信仰に殉じる。一向一揆の本質をストレートに表現してほしい場面でした。
I:夏目広次(演・甲本雅裕)も一向宗側につきます。劇中では、家康に何度も名前を間違えられる設定で、一向宗側に寝返ったという段階になって、酒井忠次(演・大森南朋)らが、「殿が夏目を軽んじるから」と言われていました。
A:家康の祖父清康、父広忠ともに家臣に殺害されたというお家の黒歴史の中で、結束を保っていた家臣団が割れるほどに「一向一揆」とは、深刻な問題だったわけです。渡辺守綱のシーン同様に、このくだりもストレートに「信仰心の強さ」を強調して展開してほしかったですね。
I:そういえば、夏目広次の扱いが雑な感じがしませんか? この人は、今後家康の人生にとって重要な役回りを果たす人物なだけに、扱いが雑なことが何かの伏線になっているのでしょうか。
【気になる、歩き巫女の千代の調略。次ページに続きます】