文・絵/牧野良幸

俳優の渡辺徹さんが亡くなった。いつもテレビで見ていたあの明るい笑顔がもう見られないと思うと悲しい。そこで今回は渡辺徹さんが出演した映画を取り上げて追悼としたい。

渡辺徹さんの出演作といえば、テレビ番組『太陽にほえろ!』のラガー刑事がまず頭に浮かぶが、今回取り上げるのは市川崑監督の『映画女優』(1987年)である。この映画の渡辺徹さんもぜひ見ていただきたいと思うのだ。

『映画女優』は戦前から戦後にかけて活躍した大女優、田中絹代の半生を描いた作品だ。田中絹代役には吉永小百合。渡辺徹は新人の絹代を見いだす清光宏監督の役だ(モデルは清水宏。この映画では田中絹代以外、実在人物の名前を少し変えてある)。

始まりは大正15年。まだ無声映画の時代だ。

絹代の家では絹代が松竹蒲田撮影所に採用された祝いが行われようとしていた。絹代の母、姉、二人の兄、伯父。みんな絹代の収入をあてにして一緒に上京したのだった。めいめいが打算的で勝手なことを言うのだが、絹代は10代半ばの娘にもかかわらず、大人びていて意にも介さない。ただ玄関の戸が開いた時だけは、乙女心をあらわにした。

「あっ、先生や!」

絹代は足早に玄関に向かい、膝をついて先生を迎える。

「先生」と呼ばれるのは清光監督。松竹の新進気鋭の監督である。京都撮影所にいた新人の絹代をなにかと抜てきしてくれ、蒲田に呼んでくれたのも清光だった。この住まいも清光が用意してくれたものだ。

玄関の引き戸が開き、清光が入ってくる。それが渡辺徹。おそらくモデルとなった清水宏監督の体格に近いこともあって渡辺徹が選ばれたのかと思う。大柄でがっしりとした男である。

ただ見る側は、権威的な雰囲気を漂わせて畳に上がってくる「先生」と、ヴァラエティで親しんだ渡辺徹のキャラクターが一瞬一致しない。で、こちらも修正しようとするのだが、その間も与えず即フェイドアウト。絹代の生い立ちと「先生」の関係を延々と語らせておいて、本人があらわれたらすぐカット。市川崑監督、うまいなあと思った。

渡辺徹が演じる清光は、若くして有能な監督だ。野心もある。

清光は絹代にいつも役をあてがった。他の大部屋女優は嫉妬するが、絹代の才能は明らかだ。清光のライバル、五生監督(中井貴一、五所平之助がモデル)は絹代を主役に起用する。撮影所長の城都(石坂浩二、城戸四郎がモデル)も、絹代をこれまでにないタイプの女優として所内の反対を押し切る。

面白くないのは清光だ。ただこのあたりになると、渡辺徹の清光がしっくりきて、絹代に独断的な言い方をするにも関わらず、無意識に好感度を抱いてしまう。渡辺徹の温かみのある声、柔らかな話し方がそう思わせるのだろう。他の俳優が清光を演じたらもっとギスギスした男になっていたはずだ。

清光の嫉妬はついに師弟関係を超えさせた。清光は絹代の体を強引に求める。絹代も

「私も先生を愛していました」

と応じる。

しかし看板女優の結婚には家族も会社も大反対。女優が結婚したら人気が落ちてしまう。城都所長は2年は内密にするという「試験結婚」で、二人の結婚を認めたのだった。

昭和3年、二人の生活が始まる。しかし監督業で忙しい清光と、女優として忙しくなった絹代との生活はすれ違いばかり。やがて清光の女関係もあり喧嘩が絶えなくなった。

ある晩のシーン。ぐでんぐでんに酔っ払って帰ってくる清光。

「起きろ、旦那様のお帰りだ!」

着物を脱ぎ散らしたまま寝ている絹代は泥酔している。今夜は絹代の幹部昇進の祝いの会があったのだ。

「おめでとうと言ってやる、着物を着ろ!」

起き上がった絹代は皮肉を言う。

「遅いですね。あの方の所にいらしゃれば良かったのに」

怒った清光は絹代の顔を叩く。絹代も負けていない。

「殴ったな。親にも殴られたことがないんだぞ!」

「それがどうした!」

「このやろー、オシッコしてやる!」

「やれるものならやってみろ!」

「どけ!」

絹代は部屋の隅に向かうと襦袢をまくし上げ、小便をする。

吉永小百合の破天荒な女と、渡辺徹のDV男。どちらもイメージと離れた役どころと思うのだが、それだけにこのシーンは面白い。

結局二人の結婚は1年半しか持たなかった。怒ったのは二人の結婚を認めた城都所長だ。

「馬鹿野郎!」

城都が清光を殴る。

「俺はおまえの天分を買ってるんだ、心配をかけやがって!」

清光は城戸の鉄拳を愛の鞭と分かっている。

「所長……ありがとうございました」

清光の顔から高慢な感じが消え、照れ隠しの笑みを浮かべる。ここがこの映画で渡辺徹のいちばんカッコいいところで、なんだか『太陽にほえろ!』で先輩刑事に怒られるラガー刑事みたいである。

しかし渡辺徹の出番はここまで。もうあとは出ない。長く書いてきたので、メインのあらすじを書いているように思われたかもしれないが、映画全体から見ればプロローグにすぎない。実は二人の結婚が破綻したあと、絹代が「もう結婚は、せいへんわ」と言ったあとからが本題なのである。

ざっと書くと、活動写真はトーキーの時代となる。絹代は溝内健二監督(菅原文太、モデルは溝口健二)に呼ばれ京都で『浪花女』を撮影。そして太平洋戦争をはさみ戦後、二人はスランプ脱出を目指して『西鶴一代女』に挑む。

絹代と溝内監督の、火花を散らしながらも、互いに尊敬と愛情を含んだ関係。そこに日本映画史を重ねて描いたのが『映画女優』なのだ。

なので渡辺徹の演じる清光の出番は最初しかない。映画全体から見れば尺もそんなに長くない。にも関わらず印象にとても残る。別の俳優が演じていたら、果たしてこれほど清光が記憶に残っただろうか。渡辺徹の持つ温かみを実感する。あらためてご冥福をお祈りします。

【今日の面白すぎる日本映画】
『映画女優』
1987年
上映時間:130分
監督:市川崑
原作:新藤兼人『小説・田中絹代』
脚本:新藤兼人、日高真也、市川崑
出演:吉永小百合、森光子、石坂浩二、渡辺徹、中井貴一、菅原文太、平田満、岸田今日子、ほか
音楽:谷川賢作

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。ホームページ http://mackie.jp

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