ライターI(以下I):畠山重忠(演・中川大志)討伐への動きが風雲急を告げています。北条時政(演・坂東彌十郎)の暴走ここに極まれり。その背景にりく(演・宮沢りえ)の存在もあったわけですが、宮沢りえさんの演技に惹き込まれました。
編集者A(以下A):宮沢さんの大河デビューは1991年の『太平記』。猿楽一座で白拍子も務める藤夜叉を演じ、足利尊氏(演・真田広之)と京で一夜の契りを結ぶという役どころ。尊氏実子の直冬(演・筒井道隆)の母という設定でした。初々しい演技がほんとうに印象的でした。そりゃそうですよね、当時宮沢さんは10代。あれからずいぶん時が流れましたが、りく役の宮沢さんを見て、ひとりの俳優の成長を激しく実感することができて感慨深いです。
I:なんか、そういう方が私の周りにもいました。大河ドラマを長く見続けると俳優の成長ぶりを実感できるということがありますね。さて、時政の暴走ですが、まず三浦義村(演・山本耕史)をけしかけます。確かに、頼朝(演・大泉洋)挙兵時に畠山重忠の軍に義村の祖父義明が討たれるという因縁がありますものね。
A:仇といえば仇ですしね。とは言いながら、いとも簡単に重保(演・杉田雷麟)をおびき寄せる役を請け負って拍子抜けしました。本作の三浦一族はどうもとらえどころがない。もちろんそこを狙っているのかもしれませんが。
I:時政が稲毛重成(演・村上誠基)に畠山重保をおびき出すように指示します。〈婿殿〉と声をかけているように、稲毛重成は時政の娘を妻としています。
A:頼朝が落馬したのは、この稲毛重成が自分の妻の追悼のために相模川に橋を架け、その落慶供養の際の出来事でした。ちなみに時政の娘は源頼朝、足利義兼、畠山重忠、阿野全成(演・新納慎也)、稲毛重成に嫁ぎ、りくとの間にもうけた娘が平賀朝雅(演・山中崇)に嫁いだという感じになります。この脚本と演出で「北条氏のメチャクチャ感」をしっかりあぶり出しているのがすごいですよね。
緑が映える草原。やっぱりロケはいい!
I:前週に義時(演・小栗旬)が武蔵に赴き、「鎌倉に来て起請文を」ということで、武蔵から鎌倉に向かったわけですが、現在の横浜市の二俣川、鶴ヶ峰に陣を張りました。
A:緑が映える草原でのロケ。やっぱりロケはいいですね。現在の鶴ヶ峰はもう大都市横浜の一角ということで、なんの面影もないですが。畠山重忠がどのような思いで武蔵から二俣川までのおよそ100kmの道のりを進んで来たのか、それを思うとほんとうに切ないです。
I:例によって、その心情を伝える史料などありません。その部分を掘り下げるのが、小説だったり大河ドラマだったりするわけですが、本作は作者がさまざまな取材を重ね、史料を駆使し、最新の知見にも目を配り、地域の伝承まで汲み取っていることで、そうした史料には出てこない武将の心情を浮かび上がらせているのがうれしいです。
A:そう。作者がさまざまな情報を駆使して紡ぎ出した物語は、「史実」ではないけれども、その「実相」に迫っていると感じています。私は畠山重忠が武蔵からの道中、どんなことを考えていたのかを表現したのが、重忠と和田義盛のやり取りではないのか、と感じました。〈今の鎌倉は北条のやりたい放題。最後のひとりまで戦い抜く〉という思いを反芻しながら、鎌倉街道を上って来たのかと。
I:そうした思いが、〈戦など誰がしたいと思うか!〉という叫びにつながったわけですね。
A:「権力者北条」から理不尽にロックオンされてしまったら抗う術がないことを表現していますよね。〈もはや今の鎌倉で生きるつもりはない〉というのはあきらめの胸中を吐露したものと受け止めました。
I:〈もはや今の会社で生きるつもりはない〉と「鎌倉」を「会社」に変えるだけで現代に敷衍(ふえん)できる台詞ですよね。
A:なかなかに含蓄のある台詞ですね。
I: もしかしたら、重忠は二俣川に来るまでの道中で義時に一矢を報いたいと思いながら来たのかもしれないですね。「義時を一発ぶん殴ってやりたい」とか。
A:そうなんです。そのうえで構築されたのが、義時と重忠の一騎打ち。「大河ドラマは壮大なるエンターテインメント」という基本を見事に体現したシーンになりました。いつもは「大河史上屈指の名場面」という表現を使うのですが、軽々に言ってはいけないと思わせるほど重厚な大河史に残るシーンになりました。
I:三浦義村や和田義盛(演・横田栄司)ら多くの御家人が見守る中での一騎打ち、ほんとうにしびれました。
A:このシーンについては、別記事2本でも詳しく展開したいと思いますが、私は重忠にぶん殴られて、息も絶え絶えになった義時の姿を見て、その是非はともかく、義時は義時なりに真っすぐに時代を駆け抜けていたんだなとジーンときました。
I:最終回を見終わった後に、見返してみたいシーンになりましたね。
【電光石火、父時政追放に動いた義時。次ページに続きます】