坂東武士のサラブレッドと梶原景時
I:さて、頼朝の弟阿野全成(演・新納慎也)の妻にして、北条政子の妹である実衣(演・宮澤エマ)が結城朝光(演・高橋侃)に琵琶を習う場面が登場しました。
A:結城朝光は、平将門追討で名を挙げた藤原秀郷の流れを汲む小山政光を父に、頼朝の乳母のひとり寒河尼を母とする坂東武士のサラブレッド。頼朝の信頼厚き存在でした。そして結城家は、永享・嘉吉年間の「結城合戦」など、栄枯盛衰を経て、戦国時代まで家名を伝えます。徳川家康の次男秀康が結城晴朝の養子となり、結城秀康になったことでも知られます。
I:結城秀康は、来年の『どうする家康』にも登場すると思われますから、大河ドラマファンにとっては、うれしい結城家初代朝光の登場です。結城秀康の流れは越前福井藩主として続き、幕末には松平春嶽を輩出します(結城家の祭祀は、秀康五男直基の系統が継承)。
A:その坂東武士のサラブレッド結城朝光を讒言で陥れようとしたのが梶原景時。本作では、なんと善児(演・梶原善)が密告したようなにくにくしい演出でした。「絶対善児はいい死に方をしない」と思わせておいて、最終的にどう着地するのか? 本編とは別の楽しみができました。
I:ところで、『吾妻鏡』には、頼朝が上洛して東大寺大仏殿の落慶法要に臨んだ際に、東大寺僧兵と警固の御家人との間で揉め事が発生した時のエピソードが記されています。
A:まるで今週の景時と朝光の騒動の伏線のようですよね。最初に揉め事の仲裁に入った景時は高圧的だったため、火に油を注いだ感じになったそうです。ところが、それを受けて結城朝光が仲裁に入ると、東大寺の僧兵たちもうまく納得させることができたというものです。景時が鎌倉殿の威を借りて何事も高圧的だったのでしょう。それに対して朝光は、沈着冷静だったと思われます。もしかしたら景時はこの時のことを根に持って朝光の失策を狙っていたのかもしれません。
I:景時は、鎌倉殿の代替わり後も新鎌倉殿頼家の信任を引き続き得ているものと勝手に思い込んでいたようですが、どうも違っていた。なんだか「策士策に溺れる」という感が否めないですよね。
A:66人の御家人からダメ出しされたら、そうとうへこむんじゃないですかね。しかも味方をしてくれると信じていた頼家もかばってくれない。自らの過信が招いたこととはいえ、絶望しかなかったのではないでしょうか。思えば石橋山の合戦時に窮地の頼朝を救ったことで、命運開けた景時ですが、頼朝が死去した後、真っ先に粛清の対象になるとは、やはり旗揚げ以来頼朝に従っていた坂東武士からは強烈な嫉妬、やっかみの対象だったのでしょう。
I:嫉妬ややっかみの感情は、なかなか抑えられません。劇中の時代から840年ほど経た現代でも嫉妬ややっかみをめぐる人間関係のこじれは、日常茶飯事。あっちでもこっちでもそんな話ばっかりです。
A:私は、景時が頼家に「外ヶ浜に流罪」と沙汰されたのが少し気になっています。外が浜は津軽半島にあり、当時の感覚では、最果ての地。鹿ヶ谷の陰謀で俊寛が喜界ヶ島に流されましたが、イメージとしては、同様の感覚かと思われます。
I:外ヶ浜は、藤原定家が詠んだ〈みちのくの 外が浜なる 呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた〉という和歌で知られますが、「うとう」が現在も善知鳥(うとう)神社として、「やすかた」も「安方」として地名が残っています。
そして「バトン」は義時に渡された
A:何はともあれ、梶原一族が鎌倉を追われることになりました。京都からの書状のことなどいろいろ描かれましたが、象徴的なのは「殺し屋善児」を義時(演・小栗旬)に譲った場面ではないでしょうか。
I:善児を譲ることで、鎌倉にはびこる魑魅魍魎を両断する権限まで譲渡したかのような場面になりました。善児という暗黒の武器を手にした義時が、どんな風に変化していくのか見ものですね。
A:「国譲り」ならぬ「善児譲り」の儀式。義時が闇に落ちた瞬間が描かれたような気がします。流れの中で〈源氏は飾りに過ぎぬ〉というフレーズも再確認されました。
I:そして、「梶原一族はどうなるのでしょうか?」という切ないエンディングになりました。
A:雪が舞っていましたね。梶原一族の末路がわかっていても、心に染み入るラストシーンでした。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』、鎌倉歴史文化館学芸員の山本みなみ氏の『史伝 北条義時』などを担当。初めて通しで見た大河ドラマが『草燃える』(1979年)。先日、源頼朝のもう一人の弟で高知で討たれた源希義の墓所にお参りした。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2022年1月号 鎌倉特集も執筆。好きな鎌倉武士は和田義盛。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり