クラシック音楽を知れば、生き生きとした「世界史の裏側」もわかる――。
教養動画メディア「テンミニッツTV(https://10mtv.jp/lp/serai/)」の片山杜秀氏の「クラシックで学ぶ世界史」講座では、全13話で、グレゴリオ聖歌からバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンから、ワーグナー、国民楽派、マーラー、20世紀の音楽までを総覧していますが、今回は、ベートーヴェンの時代をピックアップします(その前編です)。

フランス革命を合図にしたかのようにウィーンの音楽界にデビューするのがベートーヴェンです。市民革命と革命戦争、ナポレオン戦争という長い動乱のさなかに「市民の時代」が確立し、これまでにない刺激とテンションを音楽に求めるようになっていきます。それが、ベートーヴェンの音楽にどんな影響をあたえているのでしょうか。

以下、教養動画メディア「テンミニッツTV(https://10mtv.jp/lp/serai/)」の提供で、片山杜秀氏の講義をお届けします。

※動画は、オンラインの教養講座「テンミニッツTV」(https://10mtv.jp/lp/serai/)からの提供です。

講師:片山杜秀(慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家)
インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)

片山杜秀先生

ボン出身のベートーヴェン、ハイドンに出会う

――(ハイドンやモーツァルトの過ごした)端境期を経て、いよいよヨーロッパに革命の時代がやってきます。前回で、モーツァルトの亡くなったのがフランス革命の2年後という話がありましたが、皮切りはフランス革命でした。クラシック音楽の世界は、まさにベートーヴェンの時代を迎えます。

ベートーヴェンは1770年に生まれて1827年に亡くなります。彼の一番有名な逸話は、交響曲第3番『英雄』についてでしょうか。もともとはナポレオン・ボナパルトに献呈するための作品だったのを、ナポレオンが(共和国の理想を裏切って)皇帝の座に就いたため、怒って表紙をグジャグジャグジャにして(献辞を)破り捨てたと言われています。実際、そういう楽譜も残っているそうで、伝説的に語られますけど、まさにその時代を象徴する話ですね。

片山 そうですね。ベートーヴェンはボンの出身です。ここはカトリックですが、ケルンの教会の領地になっています。

――あの大聖堂のあるところですね。

片山 あのケルンの司教が支配しているエリアで生まれました。ボンは街道筋に当たるので、それなりに先進的なエリアではありますが、同じヨーロッパでもハプスブルク帝国やフランス、イギリス、プロイセンなどと比べると、少し取り残された感があるというか……。

――保守的な土地柄、ということですか。

片山 そうですね。そういうところで育った人ですが、フランス革命の年には19歳になっていました。ベートーヴェン家は、ボンのそれなりの音楽家の家柄です。だから、音楽の教育は早くから受けていて、とくにいわゆる鍵盤楽器(ピアノ)の大変得意な天才青少年として売り出そうとしていた。でも、ボンだと限られた世界になってしまうと危ぶんでいたときにハイドンと出会います。

「市民の時代」の作曲家としてスタートするベートーヴェン

片山 当時のハイドンは、ハプスブルク帝国ではもう食べられなくなった時期で、ロンドンを2回長期滞在で訪れています。その帰路、ロンドンに行ったハイドンがウィーンに帰ろうとしてボンを通ったとき、ベートーヴェンが会いに行く。「こういう曲をつくっているので、弟子にして、ウィーンの音楽界で活躍できるようにしてください」と売り込みに行ったのです。

個人の弟子がたくさんいてくれた方が生活が成り立つ時代なので、ハイドンはもうウェルカムでベートーヴェンを弟子にします。そんなに熱心には教えなかったようですが、ともかく「ウィーンへ来てもいいぞ」ということで、ウィーン音楽界にベートーヴェンが顔を出すようになる。モーツァルトやハイドンの終わりの時代に接していた彼は、最初から「誰かに雇われることでうまくいく」ということではない時代を生きていました。

――まさに「市民の時代」の作曲家としてスタートするということですね。

片山 ちょうどそこに、フランス革命から革命戦争、ナポレオン戦争という動乱期が重なってきます。そういうなかで「市民の時代」がやってきますが、この時代の市民の趣味は、フランス革命以前の18世紀的な王侯貴族や教会の趣味を模倣し、ステータス・シンボルを得て満足する時代とは変わっています。

大戦争に産業革命がリンクするかたちで、どんどん経済が発展しながら大きな戦争が起きる。ですから、まさにアンシャンレジーム(フランス語で「旧体制」のこと)が崩壊し、ルターが教会改革でやったような「みんなで歌う」ことが国民国家レベルで起きてくる時代になります。

『ラ・マルセイエーズ』を歌いながら進軍したフランス軍

――フランス革命のナポレオン軍はなぜ強かったかというと、「徴兵制だったから」といわれます。倒しても倒しても、徴兵によって補充された兵隊がいくらでも後からやってくる。そういう世界観だと言われますが、それほどの国民国家としての盛り上がりというか、社会としてのまとまりのようなものが、国家レベルで必要な時代になってくるということですね。

片山 そういう国家レベルのまとまりをつくるためには、まさにルターのコラールとほとんど同じような話で、今度はフランスのナショナリズムを高めるための革命歌を、みんなで歌おうということになる。今までの傭兵でもなければ軍事貴族でもない、昨日まで一般民衆だった人たちがみな軍隊に行きますから、行進するにはリズムを取る必要があります。そうすると、やっぱり軍隊マーチ的な、軍歌的な革命歌を歌うのがいい。それで、『ラ・マルセイエーズ』みたいなのが出てくるのです。

――非常に獰猛な歌詞のあの歌ですよね。

片山 はい。今のフランス国歌になる『ラ・マルセイエーズ』のようなものを、みんなで歌いながら行進して行く。みんなで歌いやすい歌を歌って熱狂するような経験を、フランスという国は周囲の国に輸出していく。つまり、『ラ・マルセイエーズ』を歌いながら攻めてくるフランス軍が現われる。彼らは「国民軍である」と言う。そして、「ナポレオンという人物が指揮して、強いのである」と言うのです。

こういう経験のなかで、ますます民衆の趣味が際立ち、キャッチーなメロディがより民衆的な方向に変わっていく。つまり、フランス国民軍に王侯貴族がどんどんやられていくに連れて、民衆のナマの趣味みたいなものが赤裸々になってくる。そうすると、軍歌的なものや民衆歌的なもの、革命歌的なものが高いテンションで現れてくるのです。

ベートーヴェンは「分かりやすく」「テンションが高い」

片山 ベートーヴェンにおいて音楽が大きく変わったといわれるのは、一つは、ますますキャッチーなメロディを使うようになったこと。例えばベートーヴェンというと、交響曲第五番『運命』です。あの「ジャジャジャジャーン」は、子どもでも幼稚園児でも口ずさめるような、ものすごく覚えやすいメロディです。

その極め付けが、第九の『歓喜の歌』です。「みんなで歌おう」というので、日本でも「1万人の『第九』」が行われています。商店街のおかみさんも、みんなで「第九」をやろうみたいなノリで、何十年と続いてきました。もちろん「第九」の合唱をちゃんと練習するのは大変ですが、少なくともあのメロディは、一度聞いたらみんながすぐに覚えられる。ベートーヴェンの音楽は、そういうキャッチーなメロディをたくさん使います。

それから、大群衆の革命や大人数の軍隊による革命や戦争があり、大砲や鉄砲が発達し、大騒音、大混乱状況が続いた。ヨーロッパといえど、一年中戦争しているわけじゃないんだけれど、何度も何度も対仏大同盟を結んでナポレオンをやっつけようとしてはやられて、「すみませんでした」と降参しては、またやる。そういうことを繰り返す長い時間のなかで、戦争が常態化していくわけです。そういうなかで、やはり民衆というか音楽を聴く人というものが、ハイドン、モーツァルトの時代よりももっと強いもの、分かりやすいメロディだけじゃなくて、テンションが高いものを求めるようになります。

大音量を実現させた楽器の発達と新しい工夫

片山 ここに楽器の発達も加わります。ちょうどベートーヴェン時代は、ハイドン、モーツァルトの時代の継続ですから、産業革命で金属製の楽器がどんどんつくられます。金管楽器もそうですし、ピアノでも音の大きな強いもの、音程のしっかり出るようなものがつくられてきます。ベートーヴェンはそういう強い音を用い、ピアノでも非常に強い音で和音を叩きます。

このような音楽をつくって、テンションを上げてくる。テンションを上げないことには、革命や戦争のような大きな秩序の崩壊のなかで、今までの普通のクラシック音楽、ハイドンやモーツァルトのテンションでは刺激が足りなくなるのです。そこで、ベートーヴェンは刺激を追求しました。

その一番極端な例は、ベートーヴェンが生きている時代に最大のヒット作といわれた『戦争交響曲 ウェリントンの勝利』です。ナポレオン軍がスペインで負けた時のイギリスのウェリントン将軍をたたえ、その戦闘を描写した曲です。オーケストラの編成も大きくするうえに、実際に鉄砲の音を使うことまで楽譜に指定しています。もちろん代用品でもいいんですけれども、本当に鉄砲を撃ちなさいと指定しています。

その後は使わなくなりましたが、機械仕掛けの楽器もあります。ベートーヴェンの同時代は兵器や機械の発達する時代でした。ベートーヴェンの友人にメルツェルという技師がいて、メトロノームをつくったり、彼の補聴器をつくってくれたりしていました。その人の発明した自動楽器があります。空気をどんどん送り込んで、外から操作する。トランペットの筒にどんどん空気を送り込むと、自動オルガンみたいに「ビャッビャッビャー」と、ずっと音が鳴る。こういう楽器をどんどんつくってくるので、ベートーヴェンはそれらのための作曲もしました。それで、ものすごい大騒音、大音響を出すことを狙います。

野外の葬送行進に必要だった吹奏楽

片山 ベートーヴェンの時代は、戦争と革命の時代なので、一つ、留意すべきことがあります。古い秩序がどんどん壊れる一方で、人がたくさん死んでいくことです。だから、彼の交響曲第三番では、長い楽章がまるまる葬送行進曲に充てられます。ここで補足しておくと、ベートーヴェンは第一番の交響曲からかなり斬新な曲をつくっています。ところが、この第三番は演奏時間が1時間弱で、当時の交響曲としては破格の長さです。その中の最も長い楽章が葬送行進曲なのです。

――第二楽章ですね。

片山 なぜ交響曲なのに葬送行進曲なんだ、という感じですね。葬送行進曲を最初につくったのはフランスのゴセックという作曲家です。彼はフランス革命政府御用達作曲家のような人ですが、その前は王室御用達だったみたいで、変わり身が速いと言えば速い。このゴセックが、フランス革命期の1790年代に真っ先につくって大ヒットしたのが吹奏楽の葬送行進曲で、フランス革命期には繰り返し演奏され続けました。

革命による内戦もあれば、革命戦争ではプロイセンやハプスブルク帝国やイギリスの軍隊と戦い、大勢の人が亡くなったので、それに対する「葬送行進」というものが必要になりました。これがセレモニーになり、ナショナリズムを盛り上げますので、荘重な葬送行進曲をやって、犠牲者を追悼することが重んじられました。しかも、これは野外でやることが多いですから、野外では聞こえづらいうえ濡れると困る弦楽器を省きました。管楽器のアンサンブルがいいということで、今日の吹奏楽の原型のようなものが、かなり大きなかたちを表すのが、フランス革命期です。

呼び覚まされる戦場の記憶、生々しい感情の発露

片山 そういうわけで、1790年から1800年にかけては、ヨーロッパ中が野外で軍楽隊の演奏による葬送行進を行う時代でした。フランスと戦争している相手国も、じきに真似てやるようになりました。ですから、ベートーヴェンの交響曲第三番『英雄』がつくられた頃は、葬送行進曲が多くの人の耳馴染みになっている。変な言い方ですけど、最新の流行音楽なんです。

だから、「交響曲で、なんで葬送行進曲を聞かされるんだ」という、ちょっと常識を超えたことをベートーヴェンがやるのは、ベートーヴェンが斬新だったからではありません。演奏会用の音楽に盛り込んでくる点は斬新なんだけれども、葬送行進曲が交響曲になるのは、葬送行進曲があまりにもみんなの耳に馴染んでいるからです。

身内が死んでしまった人もいれば、演奏会を聞きにくるハプスブルク帝国の貴族などでも、怪我をして傷痍軍人のようになっている人たちがたくさんいて、彼らはやっぱり葬送行進曲に感動するわけです。戦場の光景を思い出して、戦友が死んだとか、あの時の戦いはひどかったとか、つらいということになる。こういうことで、つまり最新流行というものを取り入れる。

フランス革命以後の人間の感情の動き自体、戦争や革命で秩序が引っくり返るということから、お高くとまっていたのが、だいぶ生々しくなってきます。

1話10分の動画で学べる「大人の教養講座」テンミニッツTVの詳しい情報はこちら

協力・動画提供/テンミニッツTV
https://10mtv.jp/lp/serai/


 

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