文/柿川鮎子

巻物犬追物図より抜粋(作者不明、文政3[1820]年、国立国会図書館蔵)

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は北条氏が主役です。伊豆の弱小豪族だった北条義時が源頼朝を首領にして平家と戦い、鎌倉幕府の頂点に上り詰める過程が主なストーリーですが、この義時と北条氏最後の将軍高時は、不思議と犬に縁のある武将でした。

ドラマでは鎌倉時代の武士たちの合戦が、見どころのひとつです。北条義時が最初の合戦の勢いに飲まれ、狼狽えるシーンがリアルでした。戦う武士にとって武芸を磨くことは、富を得るためだけでなく、自らの命を守ることでした。

「弓馬の道」だった鎌倉時代の武士道

合戦というと刀を持って切り合うシーンが思い浮かびますが、鎌倉時代初期の合戦では、弓矢で相手を倒す戦い方が主力でした。武士の戦いのあるべき姿は「弓馬の道」(きゅうばのみち)と言い表し、弓と乗馬の技術向上を特に大切にしていました。

元寇でも戦いは主に弓で行われていました。(丹鶴叢書30巻,水野忠央編,中屋徳兵他3名、弘化4~嘉永6 [1847-1853]年、国立国会図書館蔵)

走る馬に乗って上手に敵を射る技術を高めようと、武士たちは鍛錬を重ねます。「弓馬の道」を窮(きわ)めるために行った訓練が、笠懸(かさがけ)・流鏑馬(やぶさめ)・犬追物(いぬおうもの)です。これらは騎射三物(きしゃみつもの)と呼ばれました。

笠懸は一つの的を遠くから射る競技で、流鏑馬は走る馬から三つの的を射る競技です。笠懸と流鏑馬の的は静止していますが、犬追物では逃げ回る犬を標的にします。馬も犬も激しく動く上、競技者が複数で行われたため、より合戦に近く、武士たちの間に広まりました。

戦いの作法を身に付ける場だった犬追物

犬追物の起源は不明ですが、特に鎌倉時代から東国の武士たちの間で盛んに行われるようになりました。流派によって異なりますが、柵や縄に囲まれた約5000平方メートル四方の広い敷地内に、約100~150頭の犬を放ち、馬に乗った12騎の武士が3組、総勢36名で犬を射ます。

矢の当たり所や、誰が射止めたかを判断する審判役として検見(けみ・けんみ)と呼ばれる2騎の武士と、さらに呼び出し役の喚次(かんじ)が2騎参加します。

犬追物では馬の操り方や、弓を正確に射る技術を磨くことが目的です。しかし、それ以上に「戦いのルールを学ぶ場」でもありました。当時はまだ武士道という言葉はありませんが、戦の作法を身に付け、それに則って美しく戦う技を磨くのに、犬追物は最適でした。

誰の矢か分かるように、沓巻きに印紋を焼き込み目印をつけました。千代田之御表錦絵より抜粋(楊洲周延画、福田初次郎, 明治30 [1897]年、国立国会図書館蔵)

皆で決めた暗黙のルールを守りながら、正々堂々と戦をするのが東国の武士の美学でした。それに外れた武士は、どんなに身分が高くても、また、武力に長けていても、尊敬されません。

壇ノ浦の戦いで、源義経は水主や舵取りを討って大勝利をおさめます。当時の戦いのルールでは戦闘要員以外の人間を討ってはならない決まりでした。数の上からも平家が当然勝つと予想していた当時の人々にとって、義経のやり方は「ありえない掟(おきて)破り」でした。源氏を大勝利に導いても、義経が最後まで認められなかった理由の一つです。

犬追物も皆で決めたルールを守りながら、集団でいかに動いて、上手に犬を射るかが重要でした。たとえゲームであっても、他人の進行の邪魔をしたり、ずるいやりかたで犬を射抜く武士は、嫌われました。逆に、戦い方がスマートで、上手くリーダーシップが取れる武士は人気を集め、優秀な部下が集まりました。

犬追物のルールは地方によって独特の作法があり、江戸時代には島津、小笠原、細川の三家の流派が残りました。最後まで残ったのが島津家の作法で、明治時代、外交の場で披露されています。グラント米国前大統領やロシア皇太子だったニコライ(後の皇帝ニコライ2世)も犬追物を見学しました。

犬追物に利用された犬の最期

犬追物で使われた矢は犬を殺さないように工夫された鏑矢(かぶらや)でしたが、逃げる途中で転倒・骨折したり、矢の当たり所が悪くて亡くなる犬も多かったのです。

当時、犬を集めるのは御犬係の役目で、飼い主のいない野犬を集めたり、仔犬を育てるなどして提供しました。犬一頭の値段は決まっていませんが、健康で逃げ足が速い個体の方が、高く売れました。

犬追物で追われて射られた犬は疲弊し、何回も繰り返し使うことは難しかったようです。弱ったり、使えなくなった犬は、鷹狩りに使う鷹の餌などに利用されました。また、各地に亡くなった犬を弔うための犬塚が建立されました。

犬追物に参加する犬を競技場に引っ張っていく御犬係たち。巻物犬追物図より抜粋(作者不明、文政3[1820]年、国立国会図書館蔵)

犬好きで犬の納税を許した北条高時

栄華を極めた北条氏でしたが、「太平記」では最後の当主北条高時が田楽や闘犬、犬追物に熱中して、政治をおろそかにし、鎌倉幕府を滅亡に導いたと記されています。犬好きな高時は、税金を犬で納めることを許可し、全国から珍しい犬が集められました。

輿にのせて路次を過る日は、道を急ぐ行人も馬より下て是に跪き、農を勤る里民も、夫に被取て是を舁、如此賞翫不軽ければ、肉に飽き錦を着たる奇犬、鎌倉中に充満して四五千疋に及べり
(太平記巻五、相摸入道弄田楽並闘犬事)

幕府への貢物の犬は輿(みこし)に乗り、それに出会った人は急いでいても馬から下りて跪きました。肉を食べるのに飽きて錦を着た犬が鎌倉中に4~5千頭もいた、と記されています。4〜5千頭という数はかなり話を盛っている気もしますが、それだけ犬道楽に夢中であったならば、人々の心が鎌倉幕府から離れていくのも当然と思えます。

鎌倉幕府滅亡の理由は一つではありませんが、犬追物で武芸を磨き、天下をとった北条氏が犬道楽で滅びたという点に、何か深い因縁を感じさせられます。犬好きが高じて犬で滅んだ北条氏。西の公家社会から東の武家社会への大転換期の陰にいた犬たち。大きな歴史の流れの中で、犬の存在を無視することはできません。

文/柿川鮎子 明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

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