かつて、ともに「尊王攘夷」思想を学んだ同志・天狗党の凄惨な最期は、渋沢栄一(演・吉沢亮)にどのような影響を与えたのか?そして、小栗上野介(演・武田真治)が江戸城内で取り出した「一本のネジ」が持つ意味とは?
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ライターI(以下I): 今週も天狗党が登場しました。
編集者A(以下A):「慶喜にわれらの志を見てほしい」という一心で筑波山からはるばる越前にたどり着きました。敦賀に入る前には木ノ芽峠を越えています。木曽義仲や源義経も通った歴史の道。中世には新田義貞が冬の行軍で多くの凍死者を出したという峠です。
I:天狗党の乱も冬ですよね。劇中では疲弊した浪士の姿が描かれていましたが、冬の木ノ芽峠を越えて、更に苛烈な戦となれば、ああなるのでしょうね。やっとの思いで敦賀に入ったら、心の拠り所だった慶喜が自分たちを攻めて来るという報せを受ける……。
A:藤田小四郎(演・藤原季節)や武田耕雲斎(演・津田寛治)らの受けた衝撃はいかばかりだったでしょうか。彼らはここで降伏する決断をします。先鋒の加賀藩らは天狗党を敦賀の寺院に分宿させたといいます。
I:ところが、田沼意尊(おきたか/演・田中美央)が、それでは手ぬるいと彼らを、鯡(にしん)を貯蔵する鯡蔵に移してしまう。魚の腐敗臭と人間の糞便臭が充満する劣悪な環境で病死者も出たといわれています。
A:この田沼意尊という男は10代将軍家治の側用人(後に老中)として絶大な権勢を振るった田沼意次のひ孫にあたる人物です。意次は松平定信によって失脚させられ、田沼家も5万7000石から1万石に減封させられます。ところが意尊の父の代に幕閣との縁戚関係で若年寄に就任。復権を果たします。
I:意尊は幕府への忠誠を示したかったんですかね。それとも単に残忍な人だったのでしょうか?天狗党823名のうち353名に斬首を命じます。
A:これほど大量の斬首刑とは空前絶後です。やり過ぎでは?と思った人も多かったのではないでしょうか。
I:渋沢栄一(篤太夫/演・吉沢亮)も相当衝撃を受けたと思われます。なにしろともに「尊王攘夷」を叫んだ同志たちですから。ドラマの中でも、自分が藤田小四郎にけしかけたと自責していました。
A:そうですよね。そのともすれば暗くなりがちなテーマを扱っていながら、テンポよくみられるのは脚本の力でしょうか。今週私が絶妙だと思ったのが、渋沢栄一が備中に赴いたエピソードを入れてきたことです。阪谷朗廬(演・山崎一)が登場していましたね。阪谷が主宰していた興譲館は、興譲館高校としてつながっています。
I:渋沢は後に阪谷を「攘夷派ばかりの漢学者の中で、断固として開港主義を貫き、反対攻撃を受けても自説を変えなかった、真に先見の明ある人」と絶賛したようです。
A:劇中でも阪谷は開国を主張していました。このシーンを見て私は、どのような人物と出会い、教えを受けるのかというのが重要だということを再認識しました。おそらく栄一はこの時のことがよほど身に染みたのでしょう。
I:栄一は、明治になって、阪谷の息子芳郎(大蔵大臣、東京市長を歴任)に娘を嫁がせていますものね。
A:面白いのが、橋本龍太郎元首相の夫人久美子さんが阪谷芳郎のひ孫にあたることです。つまり渋沢栄一と阪谷朗廬からみれば玄孫(やしゃご、孫の孫)になります。劇中で描かれた幕末の出会いが百数十年後のファーストレディを生んだというわけです(笑)。
I:尊王攘夷を強硬に掲げた天狗党が壊滅したところで、栄一の出会いが描かれる。今後栄一がどのように「尊王攘夷」と対峙していくのか、興味深いですね。
A:天狗党処刑の後、水戸で何が起こったのか?これも知っておく必要があると思います。天狗党と対立していた諸生党は天狗党の家族をことごとく処刑します。後に、天狗党が復権した際にはその報復が行なわれました。
I:水戸から人材が失われて、新政府高官に水戸出身者はほとんどいなかったそうですね。
【明治政府に消された小栗の業績。次ページに続きます】