大名家の14男。他家への養子の口があればましな方。まして本家の当主など望むべくもない立場だった井伊直弼。だが、運命のいたずらか、井伊家の当主のみならず、江戸幕府の大老にまで昇り詰める。
かつて歴史ファンを虜にし、全盛期には10万部を超える発行部数を誇った『歴史読本』(2015年休刊)の元編集者で、歴史書籍編集プロダクション「三猿舎」代表を務める安田清人氏がリポートする。
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渋沢栄一(演・吉沢亮)が従妹にあたる尾高千代(演・橋本愛)と結婚した安政5年(1858)、江戸では彦根藩主の井伊直弼(演・岸谷五朗)が幕府の大老に就任していた。幕府の開国政策に反対する全国の志士を弾圧した安政の大獄を推し進めた張本人だ。
果断にして偏狭な強権政治家という印象が強いが、どうも実情は違うようだ。
直弼は、文化12年(1815)に彦根藩の11代藩主井伊直中の14男(!)として生まれた。明らかになっている子どもたちは以下の通り。
直清、(穠姫)、(某)、直亮、(鋭三郎)、(亀五郎)、(知)、中顕、(充)、(秩)、中川久教、内藤政成、(芳)、松平勝権、新野親良、直元、横地義之、内藤政優、直弼、内藤政義
( )内は女子もしくは詳細不明の男子。詳細不明というのは、おそらく早世したのだろう。
成長した男子は12人。直弼は下から2番目の11人目なので、少年時代の直弼が藩主の座に就く可能性はほとんどなかった。
なお、長男の直清は家督を継ぐ前に早世。3男の直亮が12代藩主となった。
6男の井伊中顕は井伊家の家老の養子となっていた時期があるため、のちに井伊家に復籍したが、兄直亮や弟直弼の補佐役に甘んじた。
「中川」「内藤」など、別姓となっているのは他家に養子に出された者たちで、井伊家を継ぐ可能性はなかった。それでも直弼の上には11男の直元がいた。しかし、直元は兄の直亮の後継ぎに指名されたものの、38歳で病死してしまった。
こうして、運命のいたずらといってもよい偶然で、直弼は兄直亮の後を継いで、13代藩主となったのだ。
直弼が生まれたとき、父の直中はすでに隠居して、彦根城内の本丸御殿ではなく、別邸の槻御殿で暮らしていた。直弼が生まれたのも、この槻御殿だった。
しかし、17歳の時に父が死去。兄の直亮が藩主となったのを機に、城下にある藩の御用屋敷のひとつ、尾末町屋敷に弟の直恭(のちの内藤政義)といっしょに移り住むことになった。
のちに直弼は、この屋敷を「埋木舎(うもれぎのや)」と名づけ、世間に埋もれてしまったわが身の不幸を嘆いたといわれている。つまり、直弼は後継ぎの可能性もなく、他家に養子に行くこともなく、ただ飯食らいの「部屋住」生活を送る、厄介者だったといわれてきた。
しかし、近年の研究によると、井伊家では庶子の生活を「部屋住」とは呼ばず、その生活水準も、上級藩士と同等の暮らしぶりだったことが明らかになっている。
そこまで「不遇」ではなかったということだ。
年の離れた兄に嫌われていた直弼
直弼も、武芸や茶道、和歌などに熱心に取り組み、30過ぎまでにそれなりに忙しく、また楽しく暮らしていたようだ。
そして32歳のとき、13代藩主となるはずだった兄直元が病死したため、直弼は江戸に呼び出され、藩主直亮の世子に指名された。
江戸に出たのは、その12年前に他の大名家の養子となる試験を受けるために江戸に来て以来、二度目だった。
江戸時代、殿様=藩主は参勤交代で1年おきに江戸と国元を往復していたが、正室は江戸の藩邸で暮らしたため、世子の多くは江戸屋敷で生まれ、江戸で育った。彦根で生まれ育った直弼は、江戸の暮らしや大名家同士の付き合いにはまったく暗かったのだ。直弼自身、江戸での新たな生活に対する不安を吐露している。
また、当時すでに53歳になっていた年の離れた兄直亮には嫌われていたらしく、朴訥者の自分は、どう殿(直亮)の前で振舞えばいいのか思い悩んでいると語る手紙が残っている。
そして譜代大名筆頭の井伊家の世子となると、江戸城に登城し、将軍への挨拶はもちろん、諸大名との付き合いにも心を砕かねばならない。
直弼は、若き日に「部屋住」の身として不遇な生活を送っていたイメージがあるが、むしろ江戸に来て、それまでになかったほどストレスフルな生活を強いられていたのだ。
嘉永3年(1850)、兄の直亮が亡くなり、直弼はとうとう彦根藩主となった。
3年後の嘉永6年、ペリーが来航し、その直後に13代将軍家慶が急死するという、急転直下の事態が起きて、開国をめぐる条約勅許問題、そして将軍後継問題という2つの大問題が幕府を揺るがすことになる。
期せずして彦根藩主となった直弼も、好むと好まざるとにかかわらず、この大問題に対峙せざるを得なくなったのだ。
安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。