今回はマイルス・デイヴィスの「マラソン・セッション」について。マラソン・セッションとは、1956年にマイルス・デイヴィス・クインテットが行なった2日間のレコーディング・セッションのことで、その音源は4枚のアルバムとして発表されました(正確には1曲だけ他のオムニバスに収録。「マラソン・セッション」については第49回でも紹介していますので、そちらもご覧ください)。その4枚のアルバムとは、『クッキン』『リラクシン』『ワーキン』『スティーミン』。これらはタイトルから「ing4部作」と呼ばれ、いずれもジャズ・ファンにはよく知られるところです。今回は、それらの違いを見ていきましょう。
ジャケットに統一イメージがありませんので、まだ聴いてない方は違う内容かと思われるかもしれませんが、同じセッションから生まれた兄弟アルバムです。同じメンバーによるクインテットでスタンダードを演奏するというコンセプトはまったく同じです。
さて、その中でいちばん優れたアルバムはどれか? これは「定説」があって『クッキン』ということになっているのですね。次点は『リラクシン』。マイルスや誰かがそう言ったから、というのはないと思いますが、実際多くのファンはそう感じているのではないでしょうか。兄弟アルバムであっても差は歴然としているのです。これには理由があります。
このマラソン・セッションは、1956年の5月11日と10月26日の2日間に行われました(ちなみにいずれも金曜日。理由は第46回参照)。この5か月のインターヴァルにじつは大きな意味があるのです。リーダー、マイルスはこの時期絶好調。だからこそメジャー・レーベルの移籍話があって、この「契約消化レコーディング」が行われたのですから。バックの3人も「ザ・リズム・セクション」と呼ばれるほどの大活躍中。5月も10月も安定のプレイです。残るジョン・コルトレーンはどうだったかというと、まだまだ名実ともに「新人」の時期(マイルスと同年齢ですが)。言い換えれば、伸びしろがたっぷりだったのです。そして、この伸び方がアルバムの評価に大きく影響したのです。
先ほどの評価1位の『クッキン』は、収録5曲(2曲はメドレー)のうち全曲が10月セッションでの収録。2位『リラクシン』は、収録6曲のうち4曲が10月セッションです。『ワーキン』は8曲中1曲、『スティーミン』は6曲中1曲です。同じメンバー、同じアルバムであれば、録音日の違いはリスナーにはさほど意識されないでしょうから、バイアスなしで5月よりも10月の演奏がよいと判断されたのでした。その違いの理由がコルトレーン。コルトレーンの、この5か月間の進歩は素晴らしかったのです。
後年リリースされた、LP/CDボックス・セット(『The Legendary Prestige Quintet Sessions』など)ではマラソン・セッションを含むマイルス・デイヴィスのプレスティッジのレコーディングがすべて「録音順」で収録されていますが、それを聴くと多くの部分でコルトレーンの進歩を感じることができます。
では、なぜプロデューサー(ボブ・ワインストック)は5月と10月のセッションを均等に混ぜてアルバムを作らなかったのでしょう。これには明確な理由が考えられます。じつはこの評価順は発売順なのです。リリースは『クッキン』57年、『リラクシン』58年、『ワーキン』61年、『スティーミン』62年です。同時にリリースであれば「均等配分」もアリでしょうが(とはいえ4枚同時はありえないですが)、期間をおいて1枚ずつというのであれば、よいものから順番に出すのが、メーカーとしては正攻法といえます。プロデューサーは、当然ながら10月セッションのほうが優れているとわかっていますので、最初は10月セッションだけから編成して『クッキン』をリリースしたのです。『リラクシン』に5月セッションを2曲入れたのは、残り2曲の10月セッションを『ワーキン』『スティーミン』にとっておきたかったから。さすがに全曲5月セッションではよろしくない、と考えたのでしょう。それを裏付けるのが『リラクシン』の曲順。5月セッションの2曲は5曲目と最後の6曲目なのです。アタマのほうには入れたくなかったのです。
このように、評価順から見るとこのアルバム4枚分の音源についてのプロデューサーの編成は、じつに正しい判断だったといえるでしょう。これはオマケのネタですが、先ほどの「録音順」を見るとさらに興味深いことがわかります。なんと『クッキン』の5曲は、セッション最後の5曲だったのです。プロデューサーは選曲の手を抜いた? いえいえ、コルトレーンはセッション中も上り調子、後になるほどいい演奏になったということでしょう。もし、あと1曲録っていれば、それがクインテット最高の演奏になったかも……。
ちなみにセッション最後の演奏は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」でした。コルトレーンのソロはありません。「ブルース・バイ・ファイヴ」がコルトレーン入りの最後です。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。