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またまた作曲者は怒り心頭? ジャズの常識はミュージカルの常識にあらず【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道26】

文/池上信次

第26回ジャズ・スタンダード必聴名曲(16)「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」

フランク・シナトラ『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』

フランク・シナトラ『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』

前回に引き続き、リチャード・ロジャース(作曲)とロレンツ・ハート(作詞)の名コンビ「ロジャース&ハート」の名曲からもう1曲。バラードの名曲「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド(It Never Entered My Mind)」は、ヴォーカル、インスト問わずたいへん多くの録音が残されているジャズ・スタンダードです。前回、「恋に恋して」はオリジナルが3拍子にもかかわらず、4拍子でジャズ・スタンダード化してしまったこと(そしてそれを作曲者リチャード・ロジャースが怒ったこと)を紹介しましたが、じつは、なんとこの曲もオリジナルと違う形でジャズ・スタンダード化していたのです。

この曲は、1940年に初演されたブロードウェイ・ミュージカル『ハイアー・アンド・ハイアー(Higher And Higher)』の中の1曲。ミュージカルのストーリーはコメディです。タイトルのフレーズ「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は歌詞の中に何度も登場します。「そんなことは気にしなかった」「こんなことになるとは思わなかった」といった意味で、内容は失恋ソングです。

先に書いたように、この曲はジャズ・スタンダードとしては「バラードの名曲」として定着しています。ジャズ・ファンには何の疑問もないこと、ですよね? でもこの曲のオリジナルはバラードではなかったのです。ミュージカルでは、ヴァースのあとはミディアム・テンポで歌われているのです。初演同年の40年にリリースされた、ヘレン・フォレストのヴォーカルをフィーチャーしたベニー・グッドマン・オーケストラのシングル・レコードが最初の録音ですが、そこでも舞台同様、ミディアム・テンポで「ブンチャ・ブンチャ」という感じのリズムでやっています。

その後50年代半ばからジャズ・スタンダード化していきますが、そのきっかけとなったのは、おそらくフランク・シナトラ(ヴォーカル)のレコードでしょう。49年にシナトラはSPアルバム『フランクリー・センチメンタル』(コロンビア)をリリースしますが、そこに収録された「イット・ネヴァー〜」はアクセル・ストーダール・オーケストラを従えたスロー・バラードでした。その後少し間を置いて54年から60年までにマイルス・デイヴィス(トランペット)、リー・ワイリー、エラ・フィッツジェラルド、ペギー・リー、ジュリー・ロンドン、サラ・ヴォーン、アニタ・オデイ(以上ヴォーカル)、スタン・ゲッツ(テナー・サックス)らが次々に録音・発表しましたが、いずれもバラード演奏でした。つまり誰もオリジナルを意識していないわけで、まさに「スタンダード化=一般化」を表わしているだけでなく、みんな揃ってこの曲は「バラードのほうがいい」という意思表示をしたのですね。

その後現在にいたるまで、オリジナルと同じようなミディアム・テンポでの演奏を(100ヴァージョン超の中から)探しましたが、58年のジョー・スタッフォード(ヴォーカル)の『スウィンギン・ダウン・ブロードウェイ』(コロンビア)が4ビートを交えたアレンジで演奏しているくらいで、ジャズで演奏されるのはほぼ全部がバラードでした。その一方、ミュージカルのジャンルでは楽譜をよりどころにしているからでしょう、当然ながらインテンポの演奏ばかりです。ジャズの常識はミュージカルの常識ではないのです。

このように、ジャズマンが取り上げたことで「イット・ネヴァー〜」は(少なくともジャズ・リスナーに対しては)オリジナルの楽曲イメージがすっかり変わってしまったのです。前回紹介したロジャースの評伝にはこの曲についての記述はありませんが、ロジャースがどう思っていたのかは考えるまでもないでしょう。ジャズマンは無意識のうちに、作曲者が意図しない「新しい曲」を作ってしまったのですね。

「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」の名演収録アルバムと聴きどころ

(1)『エッセンシャル・ベニー・グッドマン&ヒズ・オーケストラ』(コロンビア)

演奏:ヘレン・フォレスト(ヴォーカル)、ベニー・グッドマン(クラリネット)&ヒズ・オーケストラ
録音:1940年

この曲を「バラード名曲」として認識している方にはちょっと驚きかもしれません。これがもとのイメージなのでしょう。リズムがあると、あまり湿っぽくならないのですね。いや逆です。バラードにすると湿っぽくなりすぎかも。本来は失恋を笑い飛ばすようなムードなのではないでしょうか。(初出当時のメディアははSPレコードのシングル盤なのでベスト盤CDを紹介します。各種サブスクリプションでも聴けます)

(2)フランク・シナトラ『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』(キャピトル)
フランク・シナトラ『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』

フランク・シナトラ『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』

演奏:フランク・シナトラ(ヴォーカル)、ネルソン・リドル(編曲・指揮)
録音:1955年3月4日

フランク・シナトラは1949年リリースのSPアルバム『フランクリー・センチメンタル』に、この曲をおそらく初めてバラードにして収録しました。これは51年にLP化されさらに広く聴かれることになりました。そしてバラード・ヴァージョンの決定版とすべく、55年にキャピトル・レコードでアレンジを変えて再録音しました。ここでシナトラによる「新曲化」が完成したのです。

(3)マイルス・デイヴィス『ワーキン』(プレスティッジ)
マイルス・デイヴィス『ワーキン』(プレスティッジ)

マイルス・デイヴィス『ワーキン』(プレスティッジ)

演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1956年10月26日

1954年、マイルス・デイヴィスはブルーノート・レコードでこの曲をカルテットで録音しました。バラードにアレンジしたのは、おそらくシナトラの演奏を聴いていたからでしょう。そして56年に再度録音したのがこのアルバム(発表は59年末)。54年と同じ編成の同じアレンジですが、トランペットにハーマン・ミュートを付け、より「マイルスらしい」演奏になりました。この曲の「決定版」のひとつです。

(4)ジュリー・ロンドン『彼女の名はジュリーVol.1』(リバティ)
ジュリー・ロンドン『彼女の名はジュリーVol.1』

ジュリー・ロンドン『彼女の名はジュリーVol.1』

演奏:ジュリー・ロンドン(ヴォーカル)、バーニー・ケッセル(ギター)
録音:1955年8月8〜9日

ジュリー・ロンドンのデビュー・アルバムの中の1曲。バーニー・ケッセルのギター1本だけをバックに切々と女心を歌います。1対1での演奏なので、緊密なやりとりの息づかいが聴き手をぐいぐいと歌の中へ引きずり込みます。美貌も彼女のアピール・ポイントのひとつでしたが、それを考えさせない深い感情表現を聴かせてくれます。

(5)キース・ジャレット『スタンダーズvol.1』(ECM)
キース・ジャレット『スタンダーズvol.1』

キース・ジャレット『スタンダーズvol.1』

演奏:キース・ジャレット(ピアノ)、ゲイリー・ピーコック(ベース)、ジャック・ディジョネット(ドラムス)
録音:1983年1月11、12日

時代はぐっと後になり、このころにはジャズマンの間では、100パーセント「この曲はバラードでなくてはならない」という認識になっていたでしょう。ここでの「基準」はマイルス・デイヴィス。3人ともマイルスと共演経験があるだけに、緊密感もひとしお。そのマイルスのお手本はじつはシナトラ。ジャズの歴史はずっと繫がっているのです。

※本稿では『 』はアルバム・タイトル、そのあとに続く( )はレーベルを示します。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。近年携わった雑誌・書籍は、『後藤雅洋監修/隔週刊CDつきマガジン「ジャズ100年」シリーズ』(小学館)、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』、『小川隆夫著/ジャズ超名盤研究2』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)、『チャーリー・パーカー〜モダン・ジャズの創造主』(河出書房新社ムック)など。

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