首塚と呼ばれるものが各地に散在するが、その約八割が合戦で命を落した人の胴から斬り落とされた首を埋葬したものだという。
「敵の首級をあげる」ことはすなわち軍功であり、恩賞に直結していた。合戦後にはおびただしい数の首が集められ、大将による首実検が行なわれた。そこで名のある武士の首とわかれば曝されるなり、塩漬けにされて運ばれるなりしたが、名もない雑兵の首は一緒くたにされて埋められた。
発掘調査で土中から現れた頭蓋骨には、刀傷があるものや、槍で突かれた穴のあるものなど、合戦の痕跡が残るものが多い。だが一方で、女性や子供の骨が見つかることも珍しくない。合戦の混乱の中では、戦闘員である武士以外の民衆からも多数の犠牲者が出たことが窺えるのだ。
中には一族郎党の集団自決を思わせる骨群もあり、地獄絵図と化した合戦の実態を今に伝えるのである。
※本記事の写真はいずれも『信長全史』所収のものです。