剣豪将軍として知られる足利義輝(演・向井理)だが……。

現職将軍足利義輝(演・向井理)が殺害されるという永禄の変が『麒麟がくる』で描かれた。なぜ、義輝は殺害されなければならなかったのか?かつて歴史ファンを虜にし、全盛期には10万部を超える発行部数を誇った『歴史読本』(2015年休刊)の元編集者で、歴史書籍編集プロダクション「三猿舎」代表を務める安田清人氏がリポートする。

* * *

——(足利)義輝は「天下を治むべき器用あり」(中略)などと評されるほど傑出した人物であったが、三好長慶の没後実権を奪った松永久秀らのために同(永禄)八年五月十九日辰刻急襲されて自殺した。

これは1979年に刊行された『国史大辞典』(吉川弘文館)の足利義輝の項目から抜粋(一部補足)したものだ。

一読して、違和感を覚える箇所がいくつかある。

松永久秀は当時、もっぱら大和国(奈良県)に滞在していて、義輝を討ったのは三好三人衆と呼ばれる三好家家臣(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)と、久秀の息子久通だったことが明らかになっている。事件後、久秀は足利義輝の弟覚慶(のちの足利義昭)に対し命の安全を保障する内容の書状を送り、事態の鎮静化を図っている。おそらく久秀は、義輝殺害にはノータッチか、あるいは、せいぜいが黙認する立場だったのだろう。

さらに、ここでは義輝が「自殺」したとしているが、義輝が自害したとする記述は、江戸時代以降の信憑性の薄い記録にしか見えない。同時代の公家山科言継の日記『言継卿記』には、義輝が「生害された」、つまり殺害されたと書かれているので、現在では討ち死にしたと解釈されるのが一般的だ。

何しろ『国史大辞典』が刊行されたのは40年以上前。執筆された時期はさらにさかのぼるだろう。研究が進んだことで歴史的事実の解釈や評価が変わるのは、とくに驚くにはあたらない。

そんなことよりも、この記述が「不審」なのは、「なぜ殺されたのか」がまったく書かれていないことだ。素直に受け取るならば、実権を握った松永久秀らが将軍を殺したというのだから、権力闘争の結果、下剋上が起きたとも読めるが。

しかしこれは、戦国時代の武将・大名は、「だれもが室町幕府の将軍に成り代わって天下を取ろうとしていた」という、いささか古臭いイメージを前提とした解釈だ。現在は、ほとんどの戦国武将は天下人となることなど考えてもいなかったということが、新たな常識になりつつある。ありていに言えば、そんな大それたことを考えていたのは、何十人もいる戦国大名のなかで織田信長ただひとりだったというのが、いまや共通認識なのだ。

それはともかく、いくら松永久秀(は実際にはかかわっていないが)のような権力志向で成り上がった人物でも、意味もなく現職の将軍を殺すなどということは考えられない。室町時代後期の将軍たちは、往々にして政争に敗れて京を追われ、流浪の日々を余儀なくされたが、さすがに命まで奪われたのは義輝だけだ。

いや、もっと時代をさかのぼると、6代将軍の義教が赤松満祐に殺されるという「嘉吉の乱」があった。しかし、このとき「犯人」の赤松満祐は「討伐」の対象となり、2カ月半後には実際に打ち取られている。しかし、足利義輝を殺害した三好三人衆や松永久通は特に討伐されることもなく、いわば「野放し」状態だった。異常と言えば異常な事態だ。

最新研究で読み解く足利義輝殺害事件の真相

なぜ義輝は殺されなければならなかったのか。

この点、完全な「正解」はまだ導き出されていないが、いくつか有力な「説」が語られている。

その1。三好三人衆と松永久通は、義輝に代わる将軍を立てようとし、邪魔になった義輝を殺害した。

足利義輝という将軍は、なかなか剛毅な人物だったらしい。当時、将軍の権威はかなり下落し、幕府の重役である管領や、実力をもつ有力大名に支えられなければ、安定した政治を維持できない状態だった。10代将軍義稙以降、義澄、義晴、そして義輝と、4人の将軍がそろいもそろって政争の影響で京から逃げ出して京に戻れないという、流浪の生活を経験していた。

しかし義輝は、ただ流浪するだけでなく、積極的に全国の大名に働きかけ、大名同士の和平調停に乗り出し、将軍権力の影響力を行使することで存在感を増していた。

応仁の乱以後、将軍の実効権力が及ぶのは畿内近国に限定されてしまったが、大名間の外交・調整機能を発揮することで、幕府=将軍の権威と実用的価値を高めたのが、義輝だった。

義輝が将軍に就任して以後、幕府の実権は三好長慶に握られていた。長慶と義輝は敵対と和解(協調)を繰り返し、危うい均衡のうえで政局を運営していた。ところが永禄4年(1561)から、三好政権の中核を担ってきた長慶の弟たちが相次いで亡くなり、長慶の嫡男義興も病没してしまった。そして、つい長慶自身も永禄7年に病で他界してしまう。

将軍権力を阻害していた三好氏の力が弱まれば、義輝にとっては好都合だ。しかし権力の空白は、思いもよらぬ疑心暗鬼や対立を呼び起こすことがままある。三好政権を構成する長慶の跡を継いだ甥の義継、三好三人衆、そして松永父子にとって、三好政権の操り人形であることに満足せず、果敢にも将軍権力の復権を目指す義輝は、非常に目障りな存在となってきた。お得意の外交・調整機能を存分に駆使すれば、三好政権に取って代わる大名権力を京に呼び込んでくるかもしれない。

自らの意志を持って動き始めた「操り人形」に、三好政権は警戒と憎しみと、そして恐怖を感じたのだろう。

注意しなければならないのは、三好政権の面々は足利将軍家そのものを根絶し、自分たちが将軍になろうとか、将軍に代わる武家政権の長になろうなどという、革命的かつ進歩的な考えを持っていたわけではない。自分たちの権力行使に「都合のよい将軍」でいてくれさえすればよかったのだ。

ちょうどよい具合に、義輝の従兄妹にあたる義栄という人物がいる。父親の義維は、阿波(徳島県)の領主である細川氏の庇護下にあったため、義栄自身も細川氏、ついで細川家臣の三好家に保護されて阿波で育った。三好政権からすれば、将軍後継者のスペアとして確保しておいた重要な「手駒」であった。

この義栄を将軍に就けるためには、義輝に消えてもらわねばならない。きわめてわかりやすい理由で、義輝は暗殺された——そう考えられてきた。

実はこの説には、もうひとつ別のバージョンがある。

三好政権が次期将軍にと考えていたのは、義栄ではなく、義輝の弟で出家の身だったのちの足利義昭だとする考えだ。

いずれにしても、将軍の首をすげかえるために義輝を殺したという点では、共通する。

これに対し、近年、注目を集めているのが、次の説だ。

その2。もともと義輝を殺害する目的ではなかった。

義輝が殺害されたとき、三好三人衆と松永久通は、義輝の御所を大軍で包囲したうえで殺害に及んだ。この「大軍で包囲」する行為には、実は大きな意味があったのだという。室町時代研究を専門とする明治大学教授の清水克行さんによれば、室町時代には、大名たちが将軍の御所を軍勢で取り囲み、将軍に異議を申し立てて自分たちの要求を強要するという行為がしばしば行われていたという。「御所巻」という呼び名まであったというから、いわば常套手段だったのだろう。

つまり、三好三人衆と松永久通の目的も、もともとは将軍義輝に政治的な要求を飲ませるための「御書巻」だったというのだ。

その要求とは、もちろん自分たちの言いなりなる足利義栄に、将軍の座を譲れということだろう。義輝殺害後、実際に義栄を新将軍に据えていることからみても、妥当な気がする。もちろん、「自分たちの言うこと聞いてくれ」といった、もう少しソフトな要求だったかもしれないが。

しかし、結果から見れば義輝は「要求」を受け入れず、殺害された。殺害にまでいたったのは突発事故のようなもので、はじめから殺すつもりだったのではないかもしれない。しかし、将軍を殺害したのは事実だ。「御書巻」で脅して言うことを聞かせようとしただけかもしれないが、もし要求を受け入れないなら殺したってかまわないという意気込み(?)はあったのかもしれない。

当時の武士は、江戸時代のようなソフィスティケートされたサムライではなく、もっと野蛮で無作法でワイルドだったのだから、どうもそんな気がする。

結局、将軍義輝が殺されたのは「三好政権にとって邪魔だったから」という、平凡な答えに行きつくかもしれないが、その背景にはこの時代特有の「事情」があったことにも注意が必要だろう。

将軍義輝殺害を巡って、松永久秀(演・吉田鋼太郎)を詰問する光秀(演・長谷川博己)。

安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。 北条義時研究の第一人者山本みなみさんの『史伝 北条義時』(小学館刊)をプロデュース。

 

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