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本連載ではいくつかのテーマをランダムに紹介していますが、今回は47回48回 に続く、《ジャズの「定説」を見直す》の3回目です。ジャズではミュージシャン、そのアルバムを紹介するときに必ず語られる「定説」があったりします。これらは有用な情報ではありますが、いつしか「伝説」になってしまうこともあり、ときにはオープンマインドで見直してみることも必要です。今回紹介するのは、ジャズ・ファンなら必ずどこかで目にしているこのアルバムの主役、ソニー・クラークの定説です。

ソニー・クラーク『クール・ストラッティン』(ブルーノート)

演奏:ソニー・クラーク(ピアノ)、アート・ファーマー(トランペット)、ジャッキー・マクリーン(アルト・サックス)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1958年1月5日
ソニー・クラークの代表作。ジャケット・デザインのよさも相まってたいへん人気が高い。

このアルバムは、日本ではたいへん人気があります。おそらくつねにジャズ・アルバムのセールス・ランキングの上位に位置していると思われます。ほんとうにジャズ・ファンの一家に一枚あるかもしれませんね。そして必ずそこについてまわるのは、「ソニー・クラークは日本だけで人気があり、アメリカでは無名(だった)」という話。付け加えると「レコード鑑賞がメインのジャズ喫茶文化の審美眼が、『クール・ストラッティン』の日本での人気を作った」と。後者はそれにまつわる著作等もたくさんあり、これは事実といえるでしょう。ここで目を向けたいのは前者の「アメリカでは無名」という部分。

たとえば、『ブルーノート・ブック』(ジャズ批評社)のクラークの紹介では、「本国ではついに『知る人ぞ知る名手』以上にはなり得なかったクラーク」とあります。また、クラークがニューヨークでキャバレーカード(ライヴ出演の許可証)が取得できなかったという事実から、それが無名の大きな原因といった記述もサイトなどでは見られます。また、このアルバムの初回プレスの枚数が、(数百から数千と諸説ありますが、いずれにしても)「少ない」というのも無名の根拠として上げられたりしています。でもほんとうにそうなのでしょうか。

まずレコードの枚数のことからいうと、1957年リリースのビル・エヴァンス(ピアノ)のファースト・アルバム『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』(リヴァーサイド)は、プロデューサーの回想によれば発売1年で800枚しか売れなかったといいます。あのエヴァンスですらこれですから、プレス枚数や初動セールスの多少と知名度は必ずしも一致しないのではないかと思います。

また、ニューヨークではライヴができなかったとしても、それ以前のライヴの活躍ぶりは「無名」の範疇には入りません。『クール・ストラッティン』のオリジナル・ライナーノーツによれば、クラークは1951年にサンフランシスコで自身のトリオを結成して活動し、スタン・ゲッツ(テナー・サックス)やアニタ・オデイ(ヴォーカル)と共演。54年から2年半はバディ・デフランコ(クラリネット)のグループに参加し、その後はロサンゼルスのライトハウス・オールスターズや、ダイナ・ワシントン(ヴォーカル)の全米ツアーに参加するなど、西海岸では大活躍。そして57年にニューヨークに進出し、ソニー・ロリンズ(テナー・サックス)、チャールズ・ミンガス(ベース)と共演するほか、自身のトリオを率いて「バードランド」に出演、とあります。満を持して西海岸からニューヨークへ進出したわけです。

クラークはその西海岸時代から多数のアルバムに参加しており、ニューヨーク進出後は、ブルーノート・レーベルでは10回のリーダー・セッションを持ち、30回以上のレコーディング・セッションに参加しています。そこでの共演者は、リー・モーガン(トランペット)、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、デクスター・ゴードン(テナー・サックス)らがおり、それ以外のレーベルでも、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダレイ(アルト・サックス)などのアルバムで演奏を聴くことができます。また引き合いに出してしまいますが、同時期のビル・エヴァンスよりもアルバムに関しては遥かに幅広く活動していたといえます。当時のニューヨークのライヴ・シーンで、ライヴができないことが知名度に実際どれだけ影響したかはわかりませんが、レコードでの幅広い活躍ぶりはライヴを補って余りあるほどだと思います。

それと、ミュージシャンからの評価です。(またまた)ビル・エヴァンスはクラークと親交が深く、1963年にクラークが亡くなったときに追悼曲「NYC’s No Lark」を書きました。タイトルはクラークの名前のアナグラムです。エヴァンスは人名をタイトルにした曲をたくさん書きましたが(第9回参照)、たいへん近しい人だけです。きっとそのピアノも高く評価していたに違いありません。

さらに興味深いのは、『ビルボード』誌にクラークの死亡記事が掲載されたことです。その1963年2月16日号に、こんな記事が載りました。

「サイドメンの死がジャズ界を襲う」
ジャズ業界はアイク・ケベックとソニー・クラークというふたりの有名なアーティストの死によって悲しみに暮れている。(中略)ソニー・クラークは、モダン・ジャズ・ピアニストの中でもっとも過小評価されているひとりだと多くの人が考えている。(後略)〔訳は筆者〕

『ビルボード』は、音楽ファンならご存じの老舗チャート誌ですが、ジャズの専門誌ではありません。その全52ページの4ページ目にクラーク(と同時期に亡くなったアイク・ケベック)の訃報が載ったのです。クラークは過小評価されてはいるけれど、名前はそれなりに知られていたからこそ、そこに掲載されたと考えられないでしょうか。

というわけで、この「無名」説は、『クール・ストラッティン』が日本では高い人気があるということが、相対的に「アメリカでは無名」というイメージに転嫁された「伝説」ではないかという気がするのですが、どうでしょうか。クラークは1963年に、麻薬の過剰摂取がもとの心臓発作で31歳で亡くなりました。もっと長く生きていれば評価は追いつき、きっとアメリカでも「有名ピアニスト」になっていたことでしょう。(なお、現在ではソニー・クラークは再評価されアメリカでも「有名」です。)

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『プレイリスト・ウィズ・ライナーノーツ「絶対名曲20」』を現在シリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz/)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/伝説のライヴ・イン・ジャパン』、『村井康司著/ページをめくるとジャズが聞こえる』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)などを手がける。

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