皆さんは、漢方薬と聞くとどんな印象がありますか? 「苦いけど体によさそう」「葛根湯は知っているけど……」など、「そもそも漢方ってどんなもの? 」と思っている方も多いのではないでしょうか。
そんな基本的な漢方に関する疑問や基礎知識を、漢方の専門家にわかりやすく解説してもらいます。 第31回のテーマは、「漢方薬の歴史(3)明治〜昭和」です。あんしん漢方(オンラインAI漢方)の薬剤師、竹田由子さんに教えてもらいました。
明治~昭和時代:漢方医学の危機から復興まで
260年続いた江戸時代が終わり、日本は開国し、明治時代を迎えます。しかし、漢方が発展した江戸時代とは一転、明治時代は漢方衰退の危機を迎えた苦難の時期でした。
政府は西洋医学の教育制度を中心に据え、1874年には医制を制定します。医術開業試験の科目はすべて西洋医学となり、医師になるには西洋医学を学ぶことが必須となったのです。
これに異議を唱える漢方医たちが漢医継続願という反対案を帝国議会に提出しますが、否決され、漢方医学はさらに隅へと追いやられて、やがて自然消滅の危機を迎えます。
しかし、政府は西洋医学を国策とする一方で、漢方治療を一切禁じたわけではありませんでした。医師免許があれば漢方治療を施せることで、わずかに生き残りへの道が開けたのです。
そして、数々の医学者の優れた著述により再び注目を集め、漢方は復興への道を歩み始めます。
医学の発展における主要人物
明治政府は国として西洋医学中心の医制改革を推し進めます。しかし、それに反対した漢方医たちがいました。これらの人物なくしては、現在に伝わる漢方も存在していなかったかもしれません。明治から昭和にかけて活躍した人物をピックアップしました。
■浅田宗伯(あさだそうはく)
幕末から明治の漢方医で、徳川将軍家の典医も務めていました。漢方医学の未来に危機感を募らせ、存続運動を展開した中心人物です。著述は80種類以上にも及び、門弟も数多くいました。
■和田啓十郎(わだけいじゅうろう)
20年来の漢方医学経験と研究成果を集約させた著書「医界の鉄椎」で知られる人物で、後の研究者にも大きな影響を与えた人物です。45歳の若さで没していますが、漢方再評価の流れを作りました。
■湯本求真(ゆもときゅうしん)
和田啓十郎の著書に影響を受け、和田亡きあとも志を受け継ぎ、明治から昭和にかけて、漢方復興に尽力した漢方医学者です。漢方医学と西洋医学のそれぞれの長所を活かすという、現代医学に通じる柔軟な考えも持っていました。
漢方薬をとり入れて健康な毎日を
自然界にある生薬を組み合わせ、治療に用いるのが漢方医学の基本です。体の悪い部分に直接アプローチする西洋医学に対し、漢方は複数の生薬の薬効の組み合わせで、体全体のバランスを整え、治していきます。
そこで重要になるのが、漢方の知識をきちんと持っている医師や薬剤師による正しい診断です。体を測るものさしがズレていては、正しい診断も薬の処方も行えません。漢方薬を飲む際は、漢方のプロにおまかせするのが一番です。
最近は、「あんしん漢方」というオンライン漢方サービスも注目を集めています。実際の病院でカウンセリングや診断をするように、体質や症状を診てもらえます。診断や処方、漢方薬の購入までネットだけで完結できるのが便利です。
体質は環境や加齢によって変化していくものです。あんしん漢方では、定期的な体質や症状チェックで、いまのあなたに最適な漢方薬を選んでくれます。
●あんしん漢方:https://www.kamposupport.com/anshin1.0/lp/?tag=221432a9sera0106
そして昭和から現在の漢方へ
江戸時代から一変し、明治時代に漢方は一気に危機を迎えます。時代の流れに巻き込まれ、いったんは西洋医学に押されますが、漢方の本当の価値をわかっている賢人たちの奮闘努力により、徐々に漢方は再評価され、復権の道を辿っていきます。
さて、次回は「漢方薬の歴史(4)現在」です。ぜひご覧ください!
<この記事を書いた人>
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