良寛(向かって右)は晩年に貞心尼(左)に出会い、歌作を通して師弟の交わりを持った。
戒律が厳しい曹洞宗の僧侶、良寛
良寛(1758~1831)は江戸時代後期の禅僧である。越後国出雲崎(新潟県出雲崎市)で生まれ、18歳で出家。諸国を遍歴するとともに、多くの和歌や書を残した。生涯、寺をもたず、庶民と交わって平易に仏教を説いた。子どもたちとよく毬つきをして遊んだという。
良寛は戒律が厳しい曹洞宗の僧侶だったが、意外にも酒を飲み、酒にまつわる和歌も残している。ただし、酔いつぶれるようなことはなく、酒を飲んで人々と楽しく語らうことが好きだったらしい。良寛にとって飲酒は質素な暮らしの中のわずかな華やいだ時間だったのだろう。
また、70歳の時に出会った40歳年下の尼、貞心尼(ていしんに)に、ほのかな恋情も抱いていたという。
朝起きたら、歯をカチカチと音を鳴らして30回ほど噛み合わせる
良寛は当時としては長命の73歳まで生きたが、健康法として実践していたのが、叩歯(こうし)と呼ばれるもの。朝起きたら、歯をカチカチと音を鳴らして30回ほど噛み合わせる。塩水を含んで行なうこともあり、まさに朝の歯磨きともいえる。これは中国伝来の気孔術のひとつで、日々行なえば気力が横溢(おういつ)し、虫歯にもならないとされた。
ちなみに、江戸時代の儒学者・貝原益軒(かいばら・えきけん)も、健康にまつわる自著『養生訓』に「毎日、時々、歯を叩くこと三十六度すべし。歯かたくなり、虫くはず、歯の病なし」と述べている。
厳しい宗教的修行を経て、特異な宗教観や芸術的境地を生み出した良寛。心身壮健な人生をまっとうできたのは、酒と恋、それに叩歯のおかげだったのだろう。
文/内田和浩