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夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。金曜日は「美味・料理」をテーマに、コウケンテツさんが執筆します。

文・写真/コウケンテツ(料理家)

タレは韓国料理の命。様々な調味料、薬味、野菜を駆使してオリジナルのタレをつくりあげます。

僕が子どもの頃、母は料理家ではなく、ごく普通の主婦でした。

「料理家・李映林の子ども」として育ったように思われることも多いのですが、いたって普通の親子。母は家族にご飯をつくり、掃除や洗濯などの家事をこなし、家計の助けになるようにと外に働きに出ることもありました。料理家としての道を歩み始めたのは、僕が二十歳を過ぎたあたりからです。

そんな母に、まだ若かった僕は本当に迷惑をかけてきました。

まず、高校を中退してしまったこと。僕は本気でプロのテニス選手をめざそうとして、テニスのためにすべてを費やそうと決断したのです。勉強はすごく好きで、本もたくさん読んでいました。でも、僕にとっての勉強は目的あってこそ。密かに抱いていたのは、プロとして世界を遠征でめぐりながら、物書きになるという夢でした。いろんなものを見て、いろんなことを伝えたい。漠然とそんなことを考えていました。

もちろん家族は、高校を辞めることに大反対。「在日韓国人で学歴がないと、社会に出ても厳しい」という世の中の風潮もあったせいでしょう。高校の先生も休学することを薦めてくれたのですが、僕は背水の陣で一大決心。母とは「テニスで芽が出なかったら、大学に行く」という約束で、大検を受けて合格しました。ところが、覚悟を決めての船出だったにも関わらず、重度の椎間板ヘルニアを患ってしまいます。その後、20歳になるくらいまで、2年という長い療養生活を送り、夢は断たれました。ま、今思えば、到底プロになれるレベルですらなかったのですが……。

テニスをやめて、社会復帰したあとの20代は、労働の記憶しかありません。メンタル的には引きこもりだったけれど、お金は稼がなくちゃいけない。たまたま、我が家の経済的にしんどい時期とも重なったのです。

いずれは海外にテニス留学したいと思い、その資金を貯めようと飲食店でたくさんアルバイトをしていましたから、料理の技術はかなり身についていました。飲食店以外にあらゆるジャンルの派遣の仕事もして、こなしたアルバイトはザッと50社以上。ずっと働いてはいたけれど、心にぽっかりと穴が空いたような状態で、社会と自分のやりたいこととの接点が見出せず……。そんな僕を見ていた母は、口にはしませんでしたが、末っ子の将来をすごく不安に思っていたはずです。

一方で、母は自分の夢に懸けてみたいと、料理家の道を歩み始めました。最初は小さな記事でレシピを発表していましたが、少しずつ仕事が増えていき、僕が20代半ばのときには、自分の著書をいくつも出す売れっ子に。姉のコウ静子も今は料理家として母と共に活躍していますが、当時は銀行に勤めながら、母を最大限にバックアップしていました。

忙しくなってきた母はあるとき、僕に「撮影の仕事を手伝ってほしい」と、それとなく僕のことを思って言ってきてくれたのです。こうして僕は、相変わらず複数のアルバイトを続けながら、料理家のアシスタントとして働くようになっていきました。

最初のうちは、買い物担当。料理の撮影で何が大変って、買い出す食材の多さ。両手に荷物を抱えて、なかなかの力仕事です。子どものときから市場に連れて行ってもらっていたので、母も僕の目利きを信頼していたのでしょう。当時はよく、自分のアルバイトの合間に買い出しをしていました。改めて、市場で魚屋さんに魚の見分け方を教わることも多かった。買い物から帰ってきたら、洗い物を一気にやっつける。飲食店で働いていたので、洗うスピードはけっこう早かったんです。

そうこうするうちに、調味料の計量も担当するようになりました。母の仕事は韓国料理がベースなので、ヤンニョム(タレ)文化。いろいろな種類の調味料を使います。そこが、日本料理とアジア料理の大きな違いかもしれません。和食はシンプルな出汁の味を素材に含ませていく。一方、アジア料理は、甘味、辛味、酸味、苦味……いろんな味をうまく配合して、複雑な味わいにしていく。調味料だけでなく、にんにくや生姜といった薬味も多く使うので、全部小分けにして準備します。これがけっこう大変なのですが、材料をまとめて撮影することもあるので、重要な仕事です。

気がつくとアルバイトよりも、母のアシスタントの仕事のほうが多くなっていました。きっと母は、僕には料理の仕事が合っていると思ったんでしょう。目標を見出せずにいた息子を、それとなくこっちの世界にいざなってくれていたのかもしれません。実際に現場はとてもクリエイティブで、楽しかった。母の料理をプロのカメラマンが撮影し、それが雑誌に掲載され、たくさんの人につくってもらえる。それは誇らしいことでもありました。雑誌からの依頼があると、企画のテーマに合わせてレシピ会議をしたり、家族みんなで食べ歩きに出かけたりしたのも、楽しい思い出です。

アシスタントになって3~4年ほど経った頃のこと。母が仕事をしていた料理雑誌から、思わぬ声がかかります。コウケンテツ単独で、企画の依頼をいただいたのです。そのとき僕はもう、30歳になっていました。

文・写真/コウケンテツ(料理家)
1974年、大阪生まれ。母は料理家の李映林。旬の素材を生かした簡単で健康的な料理を提案する。テレビや雑誌、講演会など多方面で活躍中。3人の子どもを持つ父親でもあり、親子の食育、男性の家事・育児参加、食を通じたコミュニケーションを広げる活動にも力を入れている。『李映林、コウ静子、コウケンテツ いつものかぞくごはん』(小学館)、『コウケンテツのおやつめし』シリーズ(クレヨンハウス)など著書多数。

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