夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。金曜日は「美味・料理」をテーマに、コウケンテツさんが執筆します。
文・写真/コウケンテツ(料理家)
人生、出会いがすべてだな、と思うんです。というのも、妻と出会っていなかったら、僕の料理家人生はなかったかもしれないから。
僕が料理家になって、初めての撮影現場。担当は男性の編集者でしたが、後輩の女の子の編集者を現場に連れてきました。実は、それが今の奥さん。おそらく、「コウさん、まだ撮影に慣れてないから、手伝ってあげて」みたいな感じで、編集さんが気を使ってくれたんでしょう。テキパキと手伝ってくれたおかげで、撮影はスムーズに進み、僕はすごく楽しく仕事を終えることができました。
大阪に戻って、撮影に関わってくれたスタッフのみなさんにお礼のメールを送ったんですが、そのまま彼女とはメールのやりとりが続き、お互いの仕事についての相談などをするようになりました。
あるとき、彼女からメールがきたんです。「本気で料理家としてやっていきたいなら、東京に出てきたら?」って。確かに、出版社は東京に集中しているので、大阪にいたら料理家の仕事はなかなかありません。でも、料理家としてやっていける自信もなかったし、上京するなんて考えてみたこともなかった。そもそも、お金が全然ない。正直にそう言ったら、「なんとかなるから大丈夫」って。えっ? 大丈夫かな、この子!? 会ったのも数回だけ。まさに青天の霹靂! 「料理家といってもキャリアがないし、修業もそこまでちゃんとしていないし」と言い訳めいた返事をしたら、「そんなこと言っていたら道が開けないよ!」って一喝。僕より5歳も年下の女の子に……。
母は東京へ出ることに反対しました。「いきなり行って、何ができるの? まだ軌道にも乗ってないでしょう」って。ずっと心配をかけっぱなしだった母。唐突な息子の言葉に、気を揉んだに違いありません。でも僕は、「大丈夫だから」という彼女の言葉を信じて、カバンをひとつで上京しました。そのとき、僕の財布に入っていたのは、全財産の5万円だけです。
上京する前日。母から「ナムルをつくってみなさい」と言われました。すごく簡単で、すごく難しい料理、それがナムル。僕は5種類のナムルをつくり、母に食べてもらいました。すると母は「これは水分が多い」「そっちは火の通りが甘い」とひとつひとつ、ダメなところを的確に指摘してくれたんです。
たとえば、定番のほうれん草のナムル。つくり方は単純で、ゆでてから水に取って水気を搾り、調味料で和えるだけ。でも、産地や時期によって、含まれている水分量やえぐみや苦味といった味が、全然違います。だから、そのときの野菜がどういう状態なのか、触ったり味をみたりして、ベストな味つけをしなければなりません。本当はナムルって、レシピが絶対に出せないものなんです。
どんな野菜でもナムルがつくれるようになったら一人前、それが母の考え方。「とにかく、東京では毎日、ナムルをつくりなさい」と言われました。母からの最高の餞別であり、宿題でした。
無事に上京した僕でしたが、彼女にまた怒られてしまいます。上京してすぐにやったのは、履歴書を買ってくること。お金がなくて、アルバイトしなくちゃと思っていたからです。それに、料理家としてやっていけるかどうかもわからない。頼りない僕に彼女は「何考えてるの? ここまで出てきてアルバイトって!」と、再び一喝。そんな時間があったら、いい料理をつくれるようになりなさい。料理家としてやっていくことに専念しなさい。年下の彼女から、そう言われたんです。
それからは、起床して朝食をつくって、彼女を会社に送り出したあとは、ひたすら料理の研究をする日々。母の言葉通り、ナムルは毎日毎日、つくり続けました。今日は近くのスーパーで、翌日は駅の向こうのスーパーで、ほうれん草を買ってくる。そしてナムルにする。ベストなゆで方、ベストな味つけ、正解はどこにあるんだろう。来る日も来る日も、ナムルナムルナムル。もう僕にはそれしかない、道を切り開くには……!
半年くらい経った頃でしょうか。そんな努力が実り、気づいたら手帳のスケジュール表は真っ黒になっていました。僕の仕事があまりにも忙しくなったので、彼女も僕のサポートにまわってくれました。
さらに時を経て、上京してから2年目くらいの、真夏の暑い日。母が仕事のついでに僕を訪ねてきました。わざわざ来てくれた母のために、僕はお昼ご飯の準備に取りかかりました。ゆでたそうめんと、色鮮やかな夏野菜のナムル。きゅうり、なす、トマト、ズッキーニをナムルにして、そうめんの上にのせて食べるんです。薬味として、ミョウガも一緒に添えました。
母に食べてもらうのは、緊張しました。しかも、夏野菜は水分が多いので、ナムルにするのがちょっと難しい。ところが、母が僕の料理を食べて、ぽつりとこう言いました
「よくここまで頑張ったね」
それから母は続けて、「今、あなたがたくさんの仕事をもらえている理由が、このナムルを食べてわかった」とも言ってくれました。やっと、母に一人前として認めてもらうことができた! 料理家として本当に独立できたんだ! そんな嬉しい気持ちがこみあげてきて、忘れられない日になりました。
文・写真/コウケンテツ(料理家)
1974年、大阪生まれ。母は料理家の李映林。旬の素材を生かした簡単で健康的な料理を提案する。テレビや雑誌、講演会など多方面で活躍中。3人の子どもを持つ父親でもあり、親子の食育、男性の家事・育児参加、食を通じたコミュニケーションを広げる活動にも力を入れている。『李映林、コウ静子、コウケンテツ いつものかぞくごはん』(小学館)、『コウケンテツのおやつめし』シリーズ(クレヨンハウス)など著書多数。