しかし、神様から普通の味覚しか与えられていない僕のような凡人は、そこまで出汁の味わいを感じとることができない。だから出汁の旨味を感じない分だけ、塩気が足りないような気がしてしまうのだ。
僕は、よけいなお世話で、「もうちょっと塩味を濃くすれば、さらに美味しくなると思うのですが」と、Tさんに進言するのだが、彼は自分で不味いと感じるつゆを、客に出す気にはならないのだろう。いつまでたってもTさんの店のつゆは薄味のままなのだ。味の感じ方に個人差があることの、典型的な例だと思う。
僕の別の友人で、フランス料理のシェフのMさんは、こういうことは良く理解している。だから、高価なフランス料理を食べ残した客がいると、接客をしたスタッフに、その客は何歳ぐらいの人だったか。男性か女性か。どういう服装をしていたかなど、詳しく尋ねる。そして客が残した料理を実際に味見してみる。Mさんはこうやって他人の味覚と自分自身の味覚の違いを正確に把握し、料理の味を微調整して、客に食べてもらうのだ。
Tさんの蕎麦店では、Tさんと同じような味の感じ方をする客は、おそらく熱烈なファンになることだろう。だから必ずしも、蕎麦つゆの塩分を濃くしたら良いとも言い切れない。美味しさとは難しいものだ。
Tさんの店の蕎麦つゆの味が、今後、どのように変化するのか、あるいはしないのか。Tさんの蕎麦つゆにはこうして、彼の個性と試行錯誤の歴史が刻まれていくのである。
文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)などがある。