奈良、鎌倉、江戸時代の蕎麦の味【片山虎之介の「蕎麦屋の歩き方」第11回】

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「昔の蕎麦と今の蕎麦は、どこかが違っているのですか」と、聞かれることがある。

昔の時代に行くことができて、当時の蕎麦を実際に食べたことがあるのなら、「かなり違っています」と断言できるのだが、そういう体験は残念ながら、したことがない。だから「たぶん、かなり違うのではないでしょうか」と、答えるしかないのだ。
そもそも、昔とは、いつのことなのか。その設定によっても、答えは大きく変わる。江戸時代後期なのか、初期なのか。それよりさらに昔なのか。縄文、弥生まで遡るのか。
これらの時代、それぞれに、蕎麦の味に違いがあったはずだと、私は思っている。

江戸時代後期のソバの実については、調べたことがある。今から約180年ほど昔のソバだ。
また、平安から鎌倉時代にかけてのものと推定される遺跡から出土したソバの実の様子も、大まかながら把握している。鎌倉時代の初期とするならば、およそ830年前のソバの実だ。
このふたつのソバの間には、約650年の隔たりがある。
今となっては発芽も叶わないソバなので味見もできないが、両者の味には、かなりの違いがあるものと思われる。
そう考える理由のひとつに、ソバの実の形状の違いがあげられる。
ソバの味を決める要素は、いろいろあるが、実の形は、味に大きく影響を及ぼす。だから収穫された黒い実を見ただけで、「これは美味しそうなソバだ」とか、「まあ、そこそこの味かな」などと、大まかな推測ができるのだ。
約830年前、平安から鎌倉時代のものといわれるソバの実は、現代のソバに比べて、かなり痩身であった。そして、ひとすくいの実を見ると、一粒一粒の実の個性のバラつきは大きく、雑多な性質の実が入り交じっていた。
それに対して、江戸時代後期、今から180年ほど前のソバは、現代の実の形にかなり近付いている。しかし多様な個性の実が混在している割合は、この時代のソバも、かなり大きい。こういうソバの味は、野性味が強い傾向があるのだ。
両者が生きた時代を隔てる650年の時間。これがソバの実の形状に影響を及ぼした可能性は大きい。
ソバは、人が栽培する作物である。人間が栽培を続ける長い時間の中で、育てやすいもの、味の良いもの、病気に強いもの、その土地にあったものなど、いろいろな理由で選抜、淘汰されて、最初に表に出ていた個性とは異なる特徴を持ったソバへと変貌していく。いわば、栽培の過程で行われる、ゆるやかな品種改良である。
だから、180年前のソバより、830年前のソバのほうが、ゆるやかな品種改良の度合いは低く、より野性味が強かった可能性は高い。

日本でソバが作物として栽培された最も古い記録は、今から1292年前の奈良時代、養老6年7月19日に発せられた元正(げんしょう)天皇の詔(みことのり)である。内容を簡単にいうと、今年の夏は雨が降らず、稲が実らないので、ソバを蒔いて不作に供えよ、というものだ。
この時代、まだ、ソバはそれほど重要な作物ではなかったようだ。鎌倉時代のソバから、約460年の時間を遡る養老6年のソバは、さらに大きく味が違っていても不思議ではない。いったい、どのような味であったのか、もうここまでくると、想像がつかない。
ちなみに、中国大陸の奥地に今も残るソバの野生祖先種は、非常にえぐみが強く、現代人の味覚では受け入れ難い味だという。
時代を遡るにつれ、ソバの味は、この野生祖先種に近付いていくと考えるのが自然ではないかと思う。

縄文、弥生は勿論だが、平安時代にも、まだ細い麺線に切った「蕎麦切り」が存在したという記録は見つかっていない。
この時代の蕎麦の味は、どんなものだったのだろうか。
時間を越えた蕎麦の食べ歩きは、できるはずもないが、現代の蕎麦職人の中には、昔の味に、かなり近いのではないかと思われる蕎麦を供する名人もいる。
それらの蕎麦は、なぜ、現代の一般的な蕎麦とは味が異なるのか。
そのあたりの理由は、また次回、お話ししたい。

文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』(http://sobaweb.com/)編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。伝統食文化研究家。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)、『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)、『蕎麦屋の常識・非常識』(朝日新聞出版)などがある。

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