文/藤本一路(酒販店『白菊屋』店長)

今宵の一献、今回は滋賀県東近江市の酒蔵「畑酒造(はたしゅぞう)」のお酒を紹介します。

太郎坊山(たろうぼうやま)の愛称でも呼ばれる霊山・赤神山の麓にある畑酒造の創業は大正3年(1914)。初代・畑大治郎によって設立された製造石数220石ほどの小さな蔵元です。周辺の環境は、いまも山や川、田んぼに囲まれた長閑な自然に恵まれています。

畑酒造が醸して、古くから地元で愛飲されている銘柄は「喜量能」(きりょうよし)。素朴な旨口のお酒です。

『大治郎 生酛純米生・渡船6号(だいじろう きもとじゅんまいなま ・わたりぶねろくごう)27BY』1800ml 2916円(税込み)

『大治郎 生酛純米生・渡船6号(だいじろう きもとじゅんまいなま ・わたりぶねろくごう)27BY』1800ml 2916円(税込み)

滋賀県の6分の1の面積を占める琵琶湖は、日本最大の広さと水量を誇る湖です。その南東部に位置する東近江市は、平成17年から翌18年にかけて八日市市・五個荘町・永源寺町など都合7つの市町村が合併して新たに誕生した市ですが、このエリアは大陸と日本が出逢う文化の接点としていち早く開けたところで、いわば歴史の表舞台にあたる奈良や京都の文化を支える舞台裏の役目をはたしてきました。

湖東を流れる愛知川(えちがわ)右岸にある臨済宗永源寺派の総本山である永源寺の開山は南北朝時代に遡ります。さらに上流へ向かうと文徳天皇の第一皇子・惟喬親王(これたかしんのう)が若くして隠棲したといわれる、日本の木地師発祥の地でもある君ケ畑(きみがはた)へと至ります。

聖徳太子の創建と伝えられる百済寺は近江最古の寺院。また、近江商人発祥の地とされる五個荘地区など長い歴史に裏打ちされた名所が多くあります。

単線ローカル近江鉄道の太郎坊宮前駅から北に見上げる赤神山。

単線ローカル近江鉄道の太郎坊宮前駅から北に見上げる赤神山。

標高350mの赤神山(あかがみやま)の中腹に佇む古社「太郎坊宮(たろうぼうぐう)」も、そんな湖東の歴史名所のひとつです。正式名称は阿賀神社で、その御神体にあたるのが赤神山です。つまりは、山を神と仰ぐ“神体山信仰”発祥の古社といわれていますが、さて――。

冬の畑酒造正面玄関。

冬の畑酒造正面玄関。

現在、畑酒造の蔵を取り仕切るのは、初代の名を受け継いだ4代目の畑大治郎さん(48歳)です。米屋に1年、大阪の酒屋で4年半ほど修行した後に、蔵へ戻ったのは1991年頃ですが、時代は価格競争のさなかにあって、畑酒造がつくるお酒の販売量は減ってゆく一方でした。大手メーカーの下請けとしてお酒をつくる、いわゆる“桶売り”をやめたことも影響して、畑酒造の製造石数は1998年にはわずか70石という状況にまで落ち込んだといいます。

「地元の酒米で旨い酒を新たにつくろう」

それが死中に活を見出すために4代目が始めた挑戦でした。新しい酒づくりに使用する酒米の名は「吟吹雪」。その栽培を、以前から懇意にしていた情熱農家の込山和広さんに委託契約をします。結果、1999年12月に誕生したのが『大治郎』というお酒です。

私が4代目・畑大治郎さんと出逢ったのは、『大治郎』誕生から間もない2000年もしくは2001年頃だったでしょうか。

芳醇な旨み溢れる美酒『大治郎』を知ったことはもちろんですが、4代目蔵元の大治郎さん本人の穏やかで優しい人柄に惹かれたこともあって、以来、17年近くもお付き合いをさせていただいています。

大治郎の酒米を育てる農家さん達と。

大治郎の酒米を育てる農家さん達と。

畑酒造の酒造りを支え共にしてきた杜氏さんが高齢のために引退をしたのは『大治郎』を世に送り出してから10年が過ぎた頃で、2010年からは蔵元の大治郎さん自身が杜氏となって酒造りに精進することになります。

不安と遣り甲斐が交差する日々のなか、初めての「山廃仕込み」(やまはいじこみ)」にも精力的に取り組むなど、新しいチャレンジもしてきました。そんな大治郎さんの仕事を傍で支えているのが奥様の久美子さんです。

今回「今宵の一献」として推奨するのは『大治郎 生酛純米・渡船6号』というお酒ですが――発売されたのは2016年の春過ぎのこと。その時点では、お酒がまだ若く、味乗りがもう少し欲しいという判断から、私どもの店の冷蔵庫で熟成をさせていたものです。

低温熟成の静かな時を経て、リリース当時の荒さは消えています。角がとれ丸みを帯びて、このお酒が持つしっかりした酸に負けないだけの米の旨みが乗った状態です。冷たくても燗でも美味しく飲めます。

蒸米の放冷作業。

蒸米の放冷作業。

さて、「生酛(きもと)」や「山廃(やまはい)」という言葉はよく耳にされると思います。これらはお酒の仕込み方の違いなのですが、どこがどう違うのか、ここで簡単に触れておきましょう。

「生酛仕込み」は、現代の主流である乳酸を添加する「速醸(そくじょう)仕込み」の原型にあたる手法です。速醸仕込みと違う点は、天然の乳酸菌を空気中から取り込むという点です。

なぜ乳酸がお酒づくりに不可欠なのでしょうか。

お酒の発酵に欠かせない健全な酵母(こうぼ)を培養する「酛(もと)=酒母(しゅぼ))」造りの過程では、雑菌の繁殖が大敵で、それを防ぎ淘汰するために乳酸が必要なのです。

その際、空気中から取り込んだ乳酸菌が生成する乳酸を働かせるのが「生酛仕込み」、人為的に抽出した乳酸を添加するのが「速醸仕込み」です。

乳酸を使う目的は同じですが、プロセスが違えば仕込みに要する日数も大きく変わり、おのずと出来上がるお酒も違ってくるのは当然の理です。「速醸」に比べて「生酛」は総じて厚みのある旨みと複雑な酸が特徴となります。

生酛仕込みの中の山卸作業。

生酛仕込みの中の山卸作業。

生酛仕込みには、米を摩り下ろす「山卸(やまおろし)」という大変な労力を要する作業がつきものなのですが――その工程をより簡略化した「山廃仕込み」という手法が後に開発されました。山卸の作業を廃止した仕込み方という意味で、それを「山廃仕込み」と呼んでいますが、自然の乳酸菌を取り込むという点では「生酛仕込み」と同じです。

畑酒造4代目の畑大治郎さんは、従来の「速醸仕込み」に加えて「山廃仕込み」も手掛けてきたわけですが、さらに平成27年度醸造からは「生酛造り」にもチャレンジを始めたのです。結果的には、山廃仕込みのお酒よりもしっくりくる、スムーズな仕込み経過で、出来上がったお酒も企図した通りの味わいで、大治郎さんはそこに新たな自身の酒の可能性を感じたといいます。そして、より一層の気合を込めて生酛仕込みに取り組んでいるのです。

山廃酒母の仕込み中。

山廃酒母の仕込み中。

今回の『大治郎 生酛純米生』に使われている酒米「渡船6号」についても少し触れておきましょう。昭和の初期頃までは全国各地で栽培されていたという「渡船(わたりぶね)」ですが――厳密には滋賀農業試験場の「渡船」から派生した「滋賀渡船2号」「滋賀渡船4号」「滋賀渡船6号」が滋賀県の奨励品種として昭和34年頃までは栽培されていたのだそうです。

ここ十数年は、その栽培も途絶えていたのですが、JAグリーン近江酒米部会によって平成15年から復活に向けた取り組みが行われ、平成18年には滋賀県内の酒蔵数社に供給できるまでになったといいます。

余談ながら、「渡船2号」から派生した「短稈渡船」が、かの酒米の王の座にある「山田錦」の親にあたります。

さて、大阪は堂島「雪花菜(きらず)」の間瀬達郎さんが、今宵の『大治郎 生酛純米生・渡船6号』のために用意してくれた料理は「クエの幽庵焼き」です。クエは西日本から九州にかけて生息するハタ科に属する高級魚ですが、関東地方ではそれほど一般には知られていないかも知れませんね。

調理したのは和歌山産の天然の大振りのクエです。この時期はたっぷりと脂がのっているので、シンプルな塩焼きより、和の調味液で幽庵焼きに。上には大根おろしにセリのみじん切と塩・レモンを加えた「セリおろし」をのせています。

クエの幽庵焼き。

クエの幽庵焼き。

『大治郎 生酛純米生』のボリューム感にはクエの脂と肉が、ほのかな生熟成した風味には幽庵焼きの醤油風味がよく合っています。横に添えられた生ハムで巻いたクリームチーズを混ぜた菜の花の白和えには、生酛特有のほのかな乳酸味が嬉しく、加えて6時間ほど煮たという紫花豆の密煮も良いアクセントになっています。酒も料理もそれなりに主張が強いわりには、上手く口の中でまろやかに溶け合ってくれました。

お酒は冷やした状態よりも燗酒で60度くらいまであげたほうが、かすかに残る渋さが抜けてキレがよくなりました。そこからの燗冷ましは言うに及ばず、生酛の複雑な旨みが出てきて、料理と見事な相性を見せてくれました。

稲刈り中の大治郎さん。

稲刈り中の大治郎さん。

現在、畑酒造の酒の仕込みは蔵元兼杜氏の4代目大治郎さんを含めた3人体制で臨んでいます。一人は大治郎さんの従弟にあたる遠藤明(えんどう・あきら)さん、もう一人は20代の若い山田秀紀(やまだ・ひでのり)さん。二人とも冬場は畑酒造で酒造りに励み、夏場は前述した農家・込山和広さんのところで米作りに勤しむという、いわば“半農半醸”の暮らしです。

左から山田さん・大治郎さん・遠藤さん。

左から山田さん・大治郎さん・遠藤さん。

大治郎さんもオフシーズンの夏場は自社田で酒米づくりにひたすら汗する日々です。季節の移ろいを肌身に感じながら暮らす、そんな半農半醸に生きる人たちが心を込めて醸すお酒『大治郎』を、ぜひお試しください。

トリミング/藤本さんIMG_0403
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。

【白菊屋】
■住所:大阪府高槻市柳川町2-3-2
■電話:072-696-0739
■営業時間:9時~20時
■定休日:水曜
■お店のサイト: 
http://shiragikuya.com/

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料理/間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。

【堂島雪花菜(どうじまきらず)】
■住所:大阪市北区堂島3-2-8
■電話:06-6450-0203
■営業時間:11時30分~14時、17時30分~22時
■定休日:日曜
■アクセス:地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分

構成/佐藤俊一

藤本一路さんが各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本をご紹介する連載「今宵の一献」過去記事はこちらをご覧ください。

 

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