鰻の蒲焼き(写真:車浮代)

昨今、和食に注目が集まっていますが、和食のルーツ・江戸時代の食文化についての解説は多くはありません。そこで、時代小説家で江戸料理・文化研究家である車浮代さんに、現代人が知っておきたい江戸の食事情について教えていただきましょう。

文/車浮代(江戸料理・文化研究家)

冬が旬の鰻を、夏の食べ物にした天才コピーライター

今年の土用の丑の日は2回。「一の丑」が7月23日(土)で、「二の丑」が8月4日(木)です。

「土用丑の日」に鰻を食べる習慣が始まったのは、江戸の文化文政年間(1804〜1830年)のこと。発案者は諸説ありますが、もっとも有名な説は、平賀源内です。 彼は発明家として有名ですが、本草学に明るく、絵を描き、ベストセラー作家、売れっ子コピーライターなど、さまざまな顔を持つ才人でした。

そんな源内に、ある鰻屋が「夏は鰻が売れなくて困る」と相談しました。 鰻は一年中獲れるものの、旬は冬。水温が下がり始める秋ごろから冬眠のために栄養を蓄えはじめ、冬になると脂ものります。反対に、夏は脂が少なく、売り上げが下がります。

そこで源内が「本日丑の日」と書いた紙を店の表に貼らせ、縁起物好きの江戸っ子の心理を巧みにつかむ作戦に出ました。

もともと、丑の日には「う」のつくもの、たとえば、瓜やうどん、梅干し、卯の花などを食べれば夏バテしない、と言われていたので、源内は鰻にも「う」がつくことを人々に気づかせたのです。

ところが、江戸に「土用の丑の日ブーム」が起こったのは、源内が亡くなった後、という説も。よってこのコピーの発案者は、山東京伝(さんとう・きょうでん)か大田南畝(おおた・なんぽ)、あるいは式亭三馬(しきてい・さんば)あたりの間違いではないか、とも言われています。

鰻の夏バテ防止効果は奈良時代から

日本では新石器時代から鰻が食べられていて、奈良時代には「夏バテ防止に鰻を食べる」という習慣はすでにありました。大伴家持の「夏痩せに良いから鰻を食べなさいと石麻呂に言った」という意味の歌が『万葉集』に書かれています。 

この頃の鰻の食べ方は、筒状にぶつ切りにした鰻の真ん中に串を通して火で炙り、粗塩や酢、たまり醤油、山椒味噌などをつけて食べる、というものでした。この形状が蒲の穂に似ていることから、鰻の串焼きは「蒲焼き」と呼ばれるようになった、と『守貞謾稿』に記されています。

日本橋いづもやの元祖蒲焼き(写真:車浮代)

鰻のぶつ切りの蒲焼きは、江戸前期まで下賎な食べ物とされていました。元禄時代以降、京都で鰻を開いて焼く筏焼き(白焼き)が発明され、味も形も上品になり、地位が上がります。

鰻の白焼き(写真:車浮代)

さらに江戸で濃口醤油文化とマッチして、甘辛醤油だれで焼く蒲焼きが誕生したのは江戸時代後期のこと。人々は鰻の美味さに開眼し、前述の「土用の丑の日」の件も後押しになり、人気はまさしく“鰻登り”。江戸で圧倒的人気を誇ることになったのです。 

江戸と上方、調理法が違うワケ

当時、世界最高の人口密度を誇る江戸の町で獲れる鰻は、濃厚な米のとぎ汁が流れる栄養豊富な川で育つため、丸々と太っていて、脂もたっぷりとのっていました。

江戸の蒲焼きはいったん蒸してから焼きますが、これは江戸の鰻の脂が多過ぎて、一度蒸すことで脂を落とす必要があったから。反対に、上方の鰻はそこまで脂が多くはなかったため、蒸さずに焼いたのが、現在に続く調理の違いにつながっています。

なお、「関東の背開き、関西の腹開き」という言葉があります。これは、武士の町である江戸では、腹開きは切腹に通じて縁起が悪く、逆に商人の町上方では、腹を割って話す必要があるから腹開きだといわれています。

ちなみに、今では江戸湾(東京湾)で獲れる魚をすべて「江戸前」と呼びますが、もともとは鰻に限定された言葉でした。

 江戸では、上質の鰻が大量に獲れ、ことに深川で獲れる鰻は「江戸前鰻」とブランド化されていました。ところが鰻人気に火がつくと、江戸前の鰻だけでは需要が追いつかなくなります。そこで近隣から仕入れることになるのですが、江戸産の味に及ばない「旅鰻(たびうなぎ)」、あるいは「江戸後(えどうしろ)」などと、ちょっぴり皮肉な呼ばれ方をしました。

「江戸前」というと寿司屋のイメージが先に立ちますが、元は鰻屋の称号だったのです。

鰻屋の離れの意外な使い道

鰻専門の料理屋が生まれたのは天明(1781〜1789年)の頃。「江戸前の四天王」の中で、いち早く屋台から料理屋に格上げされたのが鰻屋です。

特に川沿いに別荘のように建てられた鰻屋の離れは、逢い引きの場として利用されました。鰻は注文を聞いてから開くので、焼きあがるまでに40分以上かかります。その間、誰も来ませんからどうぞご自由に、というわけです。座敷の奥の襖を開けると、そこには布団が敷かれている……などという仕組みです。

離れを使った場合は、蒲焼きでも一人前8,000円以上する店もあったそうです。江戸中期に書かれた本草書『本朝食鑑』には「疲れを除き、腰や膝を温め、精力を盛んにする」と記されているほど、鰻はスタミナ食材と知られていました。 

ちなみに「うな重」は、芝居のスポンサーの大久保今助が、芝居見物中に 出前でとる蒲焼きが冷めないようにおからに埋めて届けられていたのが気に入らず、バラバラに食べるのが面倒だからご飯に埋めるよう指示したところ、ご飯にも味が染みて、格段に美味いと大喜び。これが評判になって、以降、定着していったという逸話が有名です。

この話には別の説もあり、四谷伝馬町の三河屋にいた料理人が独立して店を持ち、丼飯の間に蒲焼きを挟んで売り出したところ、大繁盛したとも伝えられています。1杯40文(現在の価格でおよそ1,600円)だったという記述も残されていますから、信憑性は高いように思います。

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指導/車浮代(くるま・うきよ)
時代小説家/江戸料理・文化研究家。企業内グラフィックデザイナーを経て、故・新藤兼人監督に師事し、シナリオを学ぶ。現在は、江戸時代の料理の研究、再現(1200種類以上)と、江戸文化に関する講演、NHK『チコちゃんに叱られる!』『美の壷』『知恵泉』等のTV出演や、TBSラジオのレギュラーも。著書に『免疫力を高める最強の浅漬け』(マキノ出版)『1日1杯の味噌汁が体を守る』(日経プレミア新書)など多数。小説『蔦重の教え』はベストセラーに。西武鉄道「52席の至福 江戸料理トレイン」料理監修。新刊『江戸っ子の食養生』(ワニブックスPLUS新書)好評発売中。http://kurumaukiyo.com/

 

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