取材・文/藤田麻希

江戸時代の日本美術について少し聞きかじった方なら、「円山・四条派」(四条円山派)という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。これは、18世紀の京都で、円山応挙が興した円山派と、呉春に始まる四条派を合わせて言い表す言葉です。しかし、狩野派のような家元制度もなく、画風もゆるやかに変化していっているため、そのイメージは曖昧で、円山・四条派をきちんと把握することは難しいです。そんな円山・四条派の全貌に迫ろうとする展覧会「円山応挙から近代京都画壇へ」が、東京藝術大学大学美術館で開催されています。

●新しいスタンダードをつくりだした円山応挙

円山応挙が登場するまでは、絵画といえば、狩野派による中国の絵画様式にもとづいた「漢画」、土佐派などによる日本の風景や物語を題材にする「やまと絵」が主流でした。しかし、それらは手本の絵を写すことで、師から弟子へと受け継がれていったため、だんだんと形骸化しつつありました。

そのような時代に、円山応挙は写生を重視しました。応挙は、現実の生き物を見て写生し、それを作品制作に役立てています。

重要文化財 円山応挙「写生図巻(甲巻)」(部分) 明和8年~安永元年(1771-72)株式会社 千總蔵 東京展:後期展示/京都展:後期展示

重要文化財 円山応挙「写生図巻(甲巻)」(部分) 明和8年~安永元年(1771-72)株式会社 千總蔵 東京展:後期展示/京都展:後期展示

現代においては見たものを見たままに描くことは珍しくありませんが、漢画ややまと絵が台頭していた時代は、見たことのない中国の仙人や風景、何百年も前の平安貴族の物語などを描くのが普通でした。「保津川図屏風」のように、現実にあるような景色を描くことは、極めて新鮮なことでした。

重要文化財 円山応挙「保津川図」 寛政7年(1795)株式会社 千總蔵 東京展:後期展示/京都展:後期展示

重要文化財 円山応挙「保津川図」 寛政7年(1795)株式会社 千總蔵 東京展:後期展示/京都展:後期展示

ただ、忘れてはいけないのは、応挙はリアルに描いたスケッチをそのまま掛け軸や屏風にしていないことです。応挙は、尾形光琳などの琳派や狩野派、やまと絵、沈南蘋(しんなんぴん)という中国人画家の最新の写生画など、当時存在していたさまざまな画風を勉強し、そこに写生を取り入れることで、当時の人にとって受け入れやすい画風を確立しました。

重要文化財 円山応挙「松に孔雀図」 寛政7年(1795) 兵庫・大乗寺蔵 京都展のみ通期展示

重要文化財 円山応挙「松に孔雀図」 寛政7年(1795) 兵庫・大乗寺蔵 東京展のみ通期展示

たとえば「松に孔雀図」を見てみましょう。金地に墨で描くことは、狩野派も琳派もやっていたことです。応挙はそのような大枠にのっとりながら、凄まじくリアルに孔雀を描いています。首の部分など模様がペタっと張り付いたようになりそうなのに、きちんと前にせり出してくるように見せています。墨しか使われていないにもかかわらず、松は緑色であるようにも見えてきます。

応挙のもとには、息子の応瑞や長沢芦雪、源琦、渡辺南岳、森徹山、山口素絢など応門十哲と呼ばれる弟子が集まって、円山派を形成し、大きな影響力を持ちました。

円山応挙の絵を見て、現代人は取り立てて新しいとも珍しいとも思わないかもしれませんが、これは応挙がつくりだした画風が200年以上たった今も違和感なく受け入れられるスタンダードになったから。だからこそ、そこから飛び出そうとした伊藤若冲や長沢芦雪、曾我蕭白など奇想派の画家が目立ってくるわけです。

●蕪村と応挙の画風を融合し、四条派を成した―呉春

四条派の祖である呉春は、与謝蕪村のもとで絵と俳諧を学び、蕪村風の文人画を描いていました。蕪村没後は、応挙と急速に親しくなり、文人画とはまったく異なる円山派の画風に傾倒しました。応挙に弟子入りを求めたものの、既に一家を成していたため、呉春は弟子ではなく友人扱いされたと言われています。その関係は親密で、応挙が兵庫県大乗寺の障壁画を依頼された際には、円山派の門人と一緒に呉春も参加しています。

呉春「山中採薬図」 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵 東京展:前期展示/京都展:後期展示

呉春「山中採薬図」 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵 東京展:前期展示/京都展:後期展示

呉春は蕪村のもとで学んだ画風に応挙譲りの写生を加味することで、応挙のすきのない完璧な絵画よりも、情緒的でさっぱりとした画風を確立しました。松村景文、塩川文麟、岡本豊彦など多くの弟子を輩出し、その多くが四条通りに住んでいたため、一派は四条派と呼ばれるようになりました。一時は円山派をしのぐほどの人気を博したそうです。ちなみに、東京藝術大学の古田亮准教授の研究によると、「四条派」という名称は、呉春が生きていた当初にはなく、没後40年以上が経過した、嘉永5年(1852)頃から用いられているそうです。

●近代画壇へとつながる円山・四条派

応挙、呉春の弟子たちが、また弟子をとり、両派の画風は近代にいたるまで受け継がれていきました。たとえば、応挙の息子・円山応瑞の孫弟子に当たる川端玉章は、開校したばかりの東京美術学校の教授になるために京都から東京へと移り住み、多くの後身を育成しました。また、円山派と四条派どちらの流派も学んだ幸野楳嶺には、竹内栖鳳や上村松園らの、近代日本画を牽引する画家が学びました。

竹内栖鳳「春暖」 昭和5年(1930) 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 東京展:前期展示/京都展:後期展示

竹内栖鳳「春暖」 昭和5年(1930) 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 東京展:前期展示/京都展:後期展示

 

上村松園「楚蓮香之図」 大正13年頃(c.1924) 京都国立近代美術館蔵 東京展:後期展示/京都展:後期展示

上村松園「楚蓮香之図」 大正13年頃(c.1924) 京都国立近代美術館蔵 東京展:後期展示/京都展:後期展示

上村松園は、美人画を描く際に浮世絵を取り入れたことで知られていますが、このような唐美人には、応挙の影響があると考えられています。応挙もまったく同じ画題の絵を描いています。

「円山応挙から近代京都画壇へ」には、円山・四条派の源流となる、円山応挙、呉春の絵がかなりの数、展示されています。風景、人物、動物など画題別に章を設けていますので、応挙の隣に近代の画家の絵が並んでいたり、両者を比べ、弟子がどのように受け継ぎ、どのように変えたのかを見ることも可能です。京都にも巡回し、重要文化財12件を含む、124点を一挙公開しますので、お見逃しないようにお越しください。

【円山応挙から近代京都画壇へ】

東京展
■会期:2019年8月3日(土)~9月29日(日)
※期間中、前期後期で大展示替えを行ないます。
前期:8月3日~9月1日/後期:9月3日~29日
■会場:東京藝術大学大学美術館
■住所:東京都台東区上野公園12-8
■電話番号:03-5777-8600(ハローダイヤル)
■展覧会サイト:https://okyokindai2019.exhibit.jp/
■開館時間:午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)
■休館日:月曜日(祝日又は振替休日の場合は開館、翌日休館)

京都展
■会期:2019年11月2日(土)~12月15日(日)
※期間中、前期後期で大展示替を行います。
前期:11月2日~11月24日/ 後期:11月26日~12月15日
■会場:京都国立近代美術館
■住所:京都市左京区岡崎円勝寺町26-1
■電話番号:075-761-4111
■開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は閉館の30分前まで)
ただし金曜日、土曜日は午後8時まで開館
■休館日:毎週月曜日、11月5日(火)
※ただし11月4日(月・振休)は開館

取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』などへの寄稿ほか、『日本美術全集』『超絶技巧!明治工芸の粋』『村上隆のスーパーフラット・コレクション』など展覧会図録や書籍の編集・執筆も担当。

 

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