取材・文/藤田麻希
香川県出身の画家、猪熊弦一郎をご存知でしょうか。1902年に生まれ、東京、パリ、ニューヨーク、ハワイなどを拠点に、1993年に90歳で亡くなるまで、生涯現役で絵を描きました。ピンク色の模様で構成した三越の包装紙「華ひらく」のデザイン、JR上野駅中央改札口の巨大な壁画「自由」が良く知られています。
そんな猪熊が好んだ猫に関する作品を集めた展覧会《猪熊弦一郎展 猫たち》が、東京・渋谷の「Bunkamura ザ・ミュージアム」で開催されています(~2018年4月18日まで)。
猪熊は無類の猫好き。小説家の大佛次郎からペルシャ猫を譲り受けたことをきっかけに猫との生活が始まり、多いときには1ダースもの猫と暮らしていたそうです。
そんな猫を絵のモチーフにするようになったのは、1933年のこと。猫を抱いている妻・文子の美しさに感動し、肖像画の一部として猫を登場させました。戦中は表現が統制されていたためスケッチなどが多かったのですが、戦後、自由になってからは、猫と女性を組み合わせた油彩画を多く描きました。この頃の作品「青い服」には、パリ滞在中に交流したアンリ・マティスの影響がうかがえます。
具象から抽象表現に舵を切り始めた頃には、四角や丸など、単純な形に変形させた猫も見受けられます。この時期の葛藤を、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館学芸員の古野華奈子さんは次のように説明します。
「猪熊にとって、絵とは色と形のバランスで美を作り出すことでした。猫や人を使って、これをなんとか実現しようと試みていました。しかし、猪熊はこう言います。“私の心は猫を愛する心でいっぱいである。この愛する心をどこか他のところに置き忘れてくれば、猫に対して苛烈な無慈悲な気持ちで思い切って描いていけるのではないかと思われる”。つまり、猫が好きすぎて無慈悲になれず、猫を抽象的に描き切ることができなかったのです。抽象画を描きたいけれども、猫をモチーフに選んでしまったことで、苦しみも深めている。そのような葛藤がうかがえます」
その後、1955年から20年間のニューヨーク時代は、完全な抽象画に振り切ったため猫が画面から消えましたが、晩年、日本に帰国してからは、小さなメモ帳に膨大な数の猫のスケッチを残しました。70歳を超えた画家が、来る日も来る日も猫をメモ帳に描くという行為から、猪熊が本当に猫を好きだったことが伝わってきます。
猪熊は「愛しているものをよく絵にかくんです。愛しているところに美があるからなんです」(“「歩く教室」写生会アルバム”「少年朝日」1950年12月号)と言います。単純なことですが、このような直球の意見を表明している画家は多くいないように思います。
会場の作品は、絵を描くことの喜びに満ちあふれています。絵画の基本に立ち返ることができる展覧会です。
【展覧会情報】
猪熊弦一郎展 猫たち
■会期:2018年3月20日(火)-4月18日(水)
■会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
■住所:東京都渋谷区道玄坂2-24-1
■電話番号:03-5777-8600(ハロ-ダイヤル)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/
■開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
■休館日:会期中無休
※参考文献『猪熊弦一郎のおもちゃ箱 やさしい線』(監修/丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 刊行/小学館)
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』
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