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この男がいなければ国立西洋美術館はなかった!? 松方コレクションの流転の歴史を解き明かす【国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展】

取材・文/藤田麻希

上野にある国立西洋美術館が、松方幸次郎(1866-1950)という一人の人物のコレクションを収蔵・公開するために創設されたことをご存じでしょうか?

松方幸次郎 写真提供:川崎重工業株式会社

松方幸次郎 写真提供:川崎重工業株式会社

松方は、第4代総理大臣を務めた松方正義の三男で、川崎造船所の社長として活躍した実業家です。第一次世界大戦の長期化で船舶の需要が増えることを見込み、ヨーロッパで船を売りながら、1910年代半ばから20年半ばにかけて、猛烈な勢いで1万点以上の美術品を収集しました。そのコレクションには、モネ、ゴッホ、ルノワール、ロダンなど、誰もが知るような有名な作品も含まれています。

クロード・モネ《睡蓮》1916年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(松方コレクション) 松方は、モネのジヴェルニーのアトリエを訪ね、画家から直接この絵を購入した。

クロード・モネ《睡蓮》1916年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(松方コレクション)松方は、モネのジヴェルニーのアトリエを訪ね、画家から直接この絵を購入した。

しかし、昭和金融恐慌の影響で川崎造船所が経営破綻に追い込まれ、松方は社長を辞任。既に日本に運んでいた美術品は競売にかけられ、ロンドンに保管していた約900点は倉庫の火災で灰燼に帰し、フランスに残していたコレクションはフランス政府に接収され、コレクションは散逸してしまいます。戦後、フランス政府が接収していたコレクションのうち375点が、日本に展示施設をつくることを条件に寄贈返還され、1959年、国立西洋美術館が開館しました。

そんな西洋美術館の開館60周年を記念して、松方コレクションの100年の流転の歴史を紐解く展覧会が開かれています。展覧会を担当した陳岡めぐみさんは次のように展覧会について説明します。

「当館は1959年にフランス政府から寄贈返還された、松方コレクションの受け入れ機関として、設立された美術館でありますが、今回のような規模の松方コレクション展を開くのは初めてです。ロンドンを中心とした前半、パリを前半とした後半、そして現代までの約100年にわたる松方コレクションの歴史そのものの形成と散逸そして現在にいたるまでの流れをたどれるような構成を目指してつくりました。また、モネの「睡蓮、柳の反映」をはじめとする近年発見された作品や、新しい歴史資料など、調査研究の成果も押さえております。松方コレクションをもとにしてつくられた美術館ならではの、スケールの展覧会をご覧いただければ幸いです」

フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》1889年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 Paris, musée d'Orsay, cédé aux musées nationaux en application du traité de paix avec le Japon, 1959 Photo (C) RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF 戦後の日仏政府返還交渉の際、返還が認められず、フランスに留め置かれ、オルセー美術館の所蔵になった。

フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》1889年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 Paris, musée d’Orsay, cédé aux musées nationaux en application du traité de paix avec le Japon, 1959 Photo (C) RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
戦後の日仏政府返還交渉の際、返還が認められず、フランスに留め置かれ、オルセー美術館の所蔵になった。

■美術館建設のためのコレクション

松方は、個人的な趣味でコレクションを築いていたのではありません。美術館を建設し、日本人に公開する目的がありました。「元来私には美術は解らない、だからこんなに沢山買ひ込んで来ても自分ひとりの所有として庫に納める様なことはせず一般日本国民のものとしたいのです」と語ったといいます(『大阪毎日新聞』1922年10月13日)。松方は東京・麻布に「共楽美術館」という名前の美術館を建てる予定で、懇意にしていたイギリスの画家のフランク・ブラングィンに設計図を描かせて、準備を進めていました。現代においては、海外の美術館から作品を借りて展覧会が開催されることは珍しくありませんが、当時の日本人には、西洋の美術品の実物を見る機会はほとんどなかったのです。

フランク・ブラングィン《共楽美術館構想俯瞰図、東京》 水彩・鉛筆、紙 国立西洋美術館 松方にコレクションに関するアドバイスをしていた、画家・ブラングィンによる共楽美術館のデザイン。

フランク・ブラングィン《共楽美術館構想俯瞰図、東京》 水彩・鉛筆、紙 国立西洋美術館 松方にコレクションに関するアドバイスをしていた、画家・ブラングィンによる共楽美術館のデザイン。

■松方コレクションの特徴

そもそもの目的が美術館建設だったこともあり、松方コレクションは、特定の趣味に偏ることなく、非常に幅広い作品で構成されています。モネやルノワールなど質の高い印象派の作品が有名ですが、それはコレクションのなかのほんの一部であり、中世イタリアの絵画、ブリューゲル、アングル、ラファエル前派、マティスやボナール、タピストリーなどの工芸品、海外流出した浮世絵なども含まれています。作品選定は、松方の考えだけではなく、ブラングィンやロダン美術館のレオンス・ベネディットなどの識者の協力も得ていました。とはいえ、人種意識も階級意識も強かったであろう当時のヨーロッパで、日本の一実業家が、大国イギリスに船を売って富をなし、画商や画家と互角に渡り合いながら、これだけのコレクション築いたことは驚くべきことです。

ジョン・エヴァリット・ミレイ《あひるの子》1889年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(旧松方コレクション) 松方はミレイやロセッティなどラファエル前派の作品も集めている。

ジョン・エヴァリット・ミレイ《あひるの子》1889年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(旧松方コレクション)松方はミレイやロセッティなどラファエル前派の作品も集めている。

■コレクションの散逸

金融恐慌の影響で川崎造船所の社運が傾いたのは1927年。先に日本に渡ってきていた作品は差し押さえられ、1928年から数回にわたって美術館等で展示され、売立てられました。東京美術学校校長の正木直彦、洋画家の和田英作などが、国家での買い取りなどを画策しましたがその願いは叶わず、せめて分散してでもせめて日本国内に留まってほしいということで、バラ売りされました。浮世絵のコレクションだけは例外で、川崎造船所のメインバンクであった十五銀行から宮内省へ献納され、その後、帝室博物館(現在の東京国立博物館)に8000点が収蔵されました。松方の美術館構想は実現しませんでしたが、結果として旧松方コレクションの質の高い作品が、現在、日本各地の美術館に収蔵されています。それらが、日本における西洋美術鑑賞の裾野を広げていることは間違いありません。

エドガー・ドガ《マネとマネ夫人像》1868−69年頃 油彩、カンヴァス 北九州市立美術館 マネが妻の肖像の部分を気に入らず、画布を切断したという逸話がある。

エドガー・ドガ《マネとマネ夫人像》1868−69年頃 油彩、カンヴァス 北九州市立美術館 マネが妻の肖像の部分を気に入らず、画布を切断したという逸話がある。

■命がけでコレクションを守った日置釭三郎

フランスに留め置かれていたコレクションは、日置釭三郎(ひおきこうざぶろう)という人物によって守られました。日置は松方の特別秘書として渡欧し、パリで暮らしていた人物で、フランスのロダン美術館の旧礼拝堂に保管されていたコレクションの管理を任されていました。

1940年代に入り、ドイツ軍のパリ侵攻が現実味を帯びてきた頃、日置はコレクションをパリから約80km離れた寒村・アボンダンの民家に疎開させることを決意し、彫刻以外の作品をトラックで運んだといいます。その頃には、日本との連絡や送金の受け取りも困難になっており、日置は松方の許可を得て作品を売って、作品の管理や疎開の費用を捻出していました。その年の6月、パリはドイツ軍に占領され、やがてアボンダンにも危険が迫ります。日置夫妻とその一行は、自転車の両脇にマネとモネの絵をくくりつけ、爆撃をかいくぐりながら避難したそうです。その後、ドイツ軍はアボンダンに進駐しましたが、民家に残された絵画はドイツ軍に見つかることなく、無事でした。それらは1944年、フランス政府によって敵国人財産として接収されましたが、日仏政府間の返還交渉の末、日本に寄贈返還されました。戦中に命をかけてコレクションを守った日置がいなければ、今日の西洋美術館はなかったといっても過言ではありません。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》1872年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(松方コレクション) 重要作品であるため、戦後、フランスに留め置かれそうになったが、日本の粘り強い交渉で返還された。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》1872年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(松方コレクション)重要作品であるため、戦後、フランスに留め置かれそうになったが、日本の粘り強い交渉で返還された。

日本人に本物の西洋美術を見せたいと思った松方、それをなんとか日本に留めようと画策した人、フランスで守ろうとした日置、粘り強く返還交渉した人々…。様々な人の思いよって、いまの日本の美術館の現状があることがわかります。今回の展覧会は、国立西洋美術館に所蔵されている松方コレクションだけでなく、国内外に散逸した重要な作品も集められています。松方コレクションの質と量を体感できる、格好の機会になっていますので、ぜひお出かけください。

【国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展】
■会期:2019年6月11日(火)~2019年9月23日(月・祝)
■会場:国立西洋美術館
■住所:東京都台東区上野公園7-7
■電話番号:03-5777-8600(ハローダイヤル)
■展覧会サイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019matsukata.html
■開室時間:9:30~17:30/毎週金・土曜日:9:30~21:00
※入館は閉館の30分前まで
■休館日:月曜日(ただし、7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)、9月23日(月・祝)は開館)、7月16日(火)

※参考文献:国立西洋美術館『国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展』図録 2019年
石田修大『幻の美術館―甦る松方コレクション』丸善 1995年

取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』などへの寄稿ほか、『日本美術全集』『超絶技巧!明治工芸の粋』『村上隆のスーパーフラット・コレクション』など展覧会図録や書籍の編集・執筆も担当。

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