70年代を代表するアイドルグループ・フィンガー5(ファイブ)。沖縄生まれの5人兄妹による卓越した歌とダンスのパフォーマンスで熱狂的な人気を得ていた。1973(昭和48)年のデビューシングル『個人授業』がミリオンセラーになり、その後も『恋のダイヤル6700』『学園天国』とミリオンを達成。「米軍基地を巡り、メジャーデビューしても売れず、沖縄に帰るんだと思ったんですよ」と語るのは、フィンガー5の三男・玉元正男さんだ。正男さんは現在、音楽活動を続けながら、東京都荒川区町屋で飲食店『いちゃりBar』を経営。壁一面に衣装やレコードが飾られており、ファンの聖地になっている。昭和レトロブームもあり、20〜30代の姿も目立つ。子供時代にアイドルとして人気絶頂を極めてから、今まで何があったのだろうか。【前編】では、占領下の沖縄で育ったことや、1969年上京当時のことからデビューまでを伺った。ここからは、アイドル以降の人生について紹介していく。

玉元 正男(たまもとまさお)1959年沖縄県具志川市(現うるま市)産まれ。幼い頃からアメリカの音楽に親しみ、米軍基地内で兄妹5人でバンド活動を開始。1973年にフィンガー5としてデビュー。1978年にアイドルとしての活動を終え、不動産会社の営業、内装業などの仕事をする。
現在は、東京都荒川区町屋の音楽バー「いちゃりBar」のオーナーであり、ライブ活動も続けている。

六本木のビルが一棟買えるくらい稼いだが

正男さんは「デビューしてからは忙しすぎて、記憶がないんです」と語る。当時の芸能界は現在とは異なる。子供だろうと仕事は詰め込まれた。

「朝、学校に行き3時間目あたりまで授業を受けます。その後、早退して車に乗り都心のテレビ局を周るのです。取材を受けたり、歌番組の生放送や収録などの仕事をします。どこに行ってもファンの方がおり、歓声を浴び続けていました。忙しかったですが、家族みんなでバスに乗って、ずっと一緒にいるのは楽しかった。当時、所属しているレコード会社・フィリップスが、僕たちのために、空調や休息スペースなどの設備が整ったハイクラスのバスを購入してくれたんです」

両親が運転し、自宅がある東村山市と都心を往復する日々。兄妹はいつも一緒で、バスの中には家族の団欒があったという。

「普通に兄妹ゲンカして、しゃべって、好きなことをやって……そうそう、次男の光男は後に美容師として活躍するのですが、もともと妙子のヘアセットをしていたんです。素質はその頃からありました。長男の一夫はマネージャーとして、スケジュール調整などを行っていた。晃も個性を出すためにメガネをかけたり、みんなで妙子の世話をしたりして、それぞれができることを懸命にしていたように思います」

当時、フィンガー5と言えば、知らない人がいない国民的なアイドルだった。芸能界で成功するという強烈な光を、正男さんたちは浴び続けたが、子供だったのでそれがどういうことなのか、よく分かってなかったという。

「大人ならではの“見栄”の世界とは離れていました。お酒も飲めませんし、服や宝石なども興味がない。いつも家族単位で行動していたので、世間のことをよく知らなかったんですよ。ただ、僕たちの音楽を多くの人が聴いてくれることが嬉しかった。子供時代に芸能界にいて良かったことは、一流の生き方をしている大人、一流の仕事している大人の姿を間近で見られたこと。真剣に表現をするアーティストの横顔、魂を込めて作品を作り上げるスタッフさんたちの気迫を感じていました。みんながいつでも真剣勝負。かっこいい大人に囲まれていたと思います」

デビューから3年間は人気絶頂状態が続き、ほとんど休みがなかったという。デビューからわずか3年間で10枚ものシングルと5枚のアルバムを出しているのだ。ミリオンを達成した『恋のダイヤル6700』(1973年)『学園天国』(1974年)のほか、『恋のアメリカン・フットボール』『恋の大予言』『華麗なうわさ』など多くの人の記憶に残る曲ばかりを出している。 また、テレビ・映画にも多く出演。『ハロー! フィンガー5』ほか、グループ名を冠された映画も制作され、日本国中がフィンガー5に夢中になった。

正男さんが経営する飲食店・いちゃりBarの壁一面に、フィンガー5のシングルとアルバムが並ぶ。
74年から渡米前まで公開番組『時間だヨ!アイドル登場』(日本テレビ系)にレギュラー出演。フィンガー5はゲストのアイドルや一般視聴者とゲームやコントをしていた。

「ただ、渦中にいる僕らは冷静でした。両親は、この熱狂が続かないことをわかっていた。何より僕たちが疲れていましたし。長男・一夫がマネージャーに専念するために脱退したり、晃の変声期もあって、子供のフィンガー5から、大人のフィンガー5に脱皮しなければならないという課題もありました。そこで、1975年から半年間、休養も兼ねて米国・ロサンゼルスに留学したんです。当時は1ドル約300円、家族7人に加え、スタッフの方々も含めて、10人以上のアメリカでの生活ですから、それは費用がかかりました。ここで、僕たちが芸能界で得た収入の全てを使い切ったんです」

それを決断したのは実業家として戦後の沖縄で苦労し成功を収めた父だった。父は「芸能界で稼いだ金はあぶく銭だ」という考えの持ち主だったという。

「現地ではギタースクールに通ったり、英語を学んだりして、本当に楽しかった。半年後に帰ってきたときは、別のアイドルが登場し熱狂を巻き起こしていました。それもまた時代の流れ。僕たちはアイドル時代に区切りをつけ、別の音楽を模索することにしたのです」

アメリカ滞在にかかった費用は、芸能界で稼いだお金の全額。「六本木でビルが一棟買えるくらい」だったという。

その後、フィンガー5はさまざまな音楽性を模索するも、大きくブレイクすることはなかった。

【不動産の営業職時代に「チャラチャラしたアイドルに家は売れない」と言われたが……次のページに続きます】

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