
(提供:嵯峨嵐山文華館)
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は、9~10世紀初頭にかけて生きた人で、家系など詳しいことは不明です。甲斐(山梨)、丹波(京都・兵庫)、和泉(大阪)、淡路(兵庫)といった地方の役人を歴任する、いわゆる下級官僚の人生を送ります。
しかし、彼には「和歌」という最強の武器がありました。官位は低くとも、その歌才は宇多法皇のお気に入りとなり、当代随一の売れっ子歌人として活躍したのです。その実力は紀貫之と双璧をなすほど。「三十六歌仙」の一人に数えられ、勅撰和歌集である『古今和歌集』の撰者にも選ばれています。
「詠み口深く思入りたる方は、又類なき者なり」(対象に深く思い入って詠むという点では比類のない歌人だ)と、後世の歌人・俊恵が評したように、躬恒の歌には深い情趣と繊細な感性が満ちています。
凡河内躬恒の百人一首「心あてに~」の全文と現代語訳
心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花
【現代語訳】
あてずっぽうに折るならば折ってみようか。(真っ白な)初霜が降りて、見分けがつかないように紛らわしくしている白菊の花を。
『小倉百人一首』29番、『古今和歌集』277番に収められています。「心あてに折らばや折らむ」とは、「狙って折ってやろうか」と、花を摘もうとする気持ちを表します。
でも、霜にまどわされて、手を出しにくい。「おきまどはせる」という言葉が、ぼんやりとした幻想的な雰囲気を生み出しています。白菊の可憐さと、寒さの訪れが重なり、しみじみとした余韻が残ります。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
凡河内躬恒が詠んだ有名な和歌は?
凡河内躬恒が詠んだ代表的な歌を2首ご紹介します。

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠る
【現代語訳】
春の夜の闇は美しい彩(あや)がなく、筋の通った考えがない。梅の花は、その色は確かに見えないけれども、香は隠れたりするものか。見せまいといくら隠したところで、ありかは知られてしまうのだ。
『古今和歌集』41番に収められています。春の夜、暗闇の中で梅の花は色が見えない。でも、香りはしっかり漂ってくる、という繊細な感覚が表現されています。視覚を超えた五感の喜びが、優しく描かれています。
世をすてて 山にいる人 山にても 猶うき時は いづちゆくらむ
【現代語訳】
俗世を捨てて山に入る人は、山にあっても生き辛いと思う時には、どこへ行くのだろう。
『古今和歌集』956番に収められています。これは、出家した友人に贈った歌とも一般の隠遁者を詠んだ歌とも言われています。どこへ行っても悩みは尽きないのが人生。俗世を捨てたところで、山でも同じように苦しむのか、というやや皮肉をこめた歌です。
凡河内躬恒、ゆかりの地
躬恒は地方官として各地を転々としましたが、特にゆかりが深いとされる場所をご紹介します。
山梨県(甲斐国)
凡河内躬恒が最初に任命された地方官職は、寛平6年(894)の甲斐少目でした。甲斐国は現在の山梨県にあたります。少目とは、国司の下で事務を担当する役職です。
当時の山梨は、都からは遠く離れた辺境の地でした。都での華やかな歌壇活動から離れ、地方での役人生活を始めることは、歌人にとって大きな転機だったはずです。しかし、この経験が彼の歌に深みを与えたとも考えられます。
最後に
躬恒の魅力は「置かれた場所で、最高に美しく咲くこと」だったのではないかと思います。
出世コースからは外れ、地方回りの人生。それでも彼は腐ることなく、目の前の風景、四季の移ろい、そして人の心の機微を、誰よりも深く見つめ続けました。
「心あてに~」の歌は、単なる風景描写ではありません。「老い」や「冬」といった、一見寂しいものを「白菊」や「霜」という高潔な美しさに昇華させる、大人の精神性が宿っています。私たちも、年齢を重ねるごとに増える白髪や皺を、ただ嘆くのではなく、躬恒のように「霜が降りたような美しさ」として捉え直してみるのも、粋な生き方かもしれませんね。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp











