取材・文/藤田麻希

花や装飾的な模様と女性を組み合わせた、アルフォンス・ミュシャによる優美なポスター。その人気は、制作から100年以上の時を経た現在でも、とどまるところを知りません。そんなミュシャの才能をいち早く見出し、ブレイクするきっかけをつくったのが、フランス出身の女優、サラ・ベルナールであることをご存じでしょうか。

アルフォンス・ミュシャ《サラ・ベルナール》1896年 リボリアンティークス蔵

アルフォンス・ミュシャ《サラ・ベルナール》1896年 リボリアンティークス蔵

サラ・ベルナールは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍し、「世界でもっとも有名な女優」との異名をもった演劇史に残る大女優です。舞台に立つだけでなく、サラ・ベルナール劇団という一座を立ち上げて国内外を巡業し、興行主としても活動しましたし、芸術家を支援したり、自らが絵画や彫刻作品を制作するなど、幅広い分野で才能を発揮しました。

C.W.ダウニー《街着姿のサラ・ベルナール》1902年 個人蔵

C.W.ダウニー《街着姿のサラ・ベルナール》1902年 個人蔵

そんな、サラ・ベルナールをテーマにした展覧会が、現在、渋谷区立松濤美術館で開催されています。ミュシャがサラを描いたポスターはもちろん、サラ本人を写した写真の数々や、実際に身に付けた衣装や装飾品から、サラの生涯を紐解きます。本展を担当した同館学芸員の西 美弥子さんのお話をもとに、本展の見どころをご紹介いたします。

■意外にもわからない出自

フランスを代表する大女優であるサラですが、その出自はよくわかっていません。高級娼婦をしていた母ジュリーの私生児としてパリで生まれたこと、そしてユダヤ人であることは確かですが、パリ・コミューンの混乱で出生証明書が焼失してしまったことにより、そのルーツがどこの国なのか、生まれた年が何年なのか、本名が何なのかもわかっていません。一説では、生年は1844年(あるいは1840年)だと言われています。

子どもの頃は修道院学校の寮に入れられていたのですが、16歳になる年に国立音楽演劇学校に入学し、卒業後はコメディ=フランセーズで女優としてデビューします。その後、オデオン座に入団し、1872年、レ・ミゼラブルの作者として知られるヴィクトル・ユゴーの「リュイ・ブラース」のヒロインに抜擢され、国民的人気女優の座に躍り出ました。その後、71歳のときに右足を切断する悲劇に見舞われましたが、78歳で亡くなる直前まで女優として活躍し続けました。

■たぐいまれな自己プロデュース能力

サラが活躍していた19世紀は、印刷技術の発達によって出版や写真、ポスターなどのメディアの影響力が拡大していった時代でした。サラは、そのような新興メディアを戦略的に使ってスターダムにのしあがっていきました。

《舞台姿のサラ・ベルナール 舞台『エルナニ』》キャビネ判 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション

《舞台姿のサラ・ベルナール 舞台『エルナニ』》キャビネ判 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション

たとえば、写真の技術革新によって、キャビネ判や名刺判の写真の大量生産が可能になりました。サラは、肖像写真や、自らが演じる役柄に扮した写真を撮影し、それらがサラのイメージを一般に浸透させるのに一役買いました。

ポール・ナダール《自宅でのサラ・ベルナール》 1890年 個人蔵

ポール・ナダール《自宅でのサラ・ベルナール》 1890年 個人蔵

自身の肖像画や南国ムードの植物、何枚もの毛皮や装飾品に囲まれた、この豪奢な室内空間は、写真家のポール・ナダールに撮らせたサラの自室です。サラは、有名人の私生活を見てみたいという大衆の欲に気づいていたのでしょう。現代では、芸能人の自宅拝見のようなTV番組がつくられ、それを見て憧れを募らせることは珍しくありませんが、サラは100年以上も前からそれを試みていました。現代のセレブリティにも通じる存在でした。

ジャック・ドゥーセ《イブニングドレス》19世紀末 個人蔵

ジャック・ドゥーセ《イブニングドレス》19世紀末 個人蔵

これは、ファッションデザイナー、ジャック・ドゥーセがサラのためにつくったドレスです。薔薇の飾りが散りばめられた優雅なドレスですが、実物を見ると意外にもサラが小柄だったことに気付きます。

「スレンダーな体型も彼女のキャラクターの一つでした。当時のフランスでは豊満であることが女性の美の規範でしたが、彼女は自らの体型を逆手にとって、スレンダーな体型が美しく見えるようなドレスのデザインを求め、着こなしも考えていたと言われています。そのような意味でも、サラは自己プロデュースの意識を持っていました」(西さん)

アルフレッド・クラレー《白粉「ディアファーヌ」》1890年頃 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション

アルフレッド・クラレー《白粉「ディアファーヌ」》1890年頃 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション

こちらは、白粉の宣伝用のポスターです。サラは、自らのイメージを商品化し、舞台用のポスターだけでなく、自身とは関係ない商品の広告塔にもなりました。現代では一般的ですが、それをマスメディアの黎明期にやっていました。

■棺桶で眠る!?

強烈な個性を持ったサラは、良くも悪くも世間から注目されるスキャンダラスな存在でした。物議を醸したのが次の写真です。

《棺桶の中でポーズするサラ・ベルナール》名刺判 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション

《棺桶の中でポーズするサラ・ベルナール》名刺判 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション

サラには、薔薇の枯木でできた棺桶を寝床としていたという逸話が残っています。そんなエピソードを彷彿とさせるこの写真は、ポーズが不謹慎だと批判に晒されました。なぜこのような写真を撮ったのかはっきりしていませんが、西さんいわく「サラは、妹が病気になって自分のベッドを貸さなければならなくなり、簡易ベッドとして棺桶で寝たと言っていましたが、小道具も配置されていますし、どうもそのような理由ではなさそうです。一説によるとこの写真は、サラのまわりの文学サークルでの遊びで撮った作品と言われています。それが図らずも世に出て不謹慎だと言われたのかもしれません」。

■サラに魅了された芸術家たち

サラに魅了された芸術家も枚挙に暇がありません。さまざまな作家が彼女の肖像を残しました。「ムーラン・ルージュ」のポスターで有名な画家のロートレックもその一人です。掲載したリトグラフは、フランスで活躍する13人の人気俳優を描いた連作のうちの一点で、最初にサラが描かれています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《サラ・ベルナール(〈H・ド・トゥールーズ=ロートレックによる俳優13人の肖像画〉連作から)》 1898年 個人蔵

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《サラ・ベルナール(〈H・ド・トゥールーズ=ロートレックによる俳優13人の肖像画〉連作から)》 1898年 個人蔵

サラの親密な友人であり、恋人の噂もあった女性画家のルイーズ・アベマも、サラが亡くなるまで50年もの長きにわたって、サラのことを描き続けました。

ルイーズ・アベマ《サラ・ベルナール》1909年 エタンプ市美術館蔵

ルイーズ・アベマ《サラ・ベルナール》1909年 エタンプ市美術館蔵

■サラが才能を見出した芸術家たち

サラは芸術家に、舞台の小道具やポスター、宝飾品や肖像画など、さまざまな仕事を発注していました。才能さえあれば有名無名にかかわらず庇護しており、サラとの出会いをきっかけに才能を開花した芸術家も多くいます。その筆頭が冒頭にも述べた、ミュシャです。

サラが50代に差し掛かかった1894年、自らが出演する演劇「ジスモンダ」のためのポスターをわずかな時間でつくらなければならなくなり、クリスマスの日、印刷所に臨時雇いされていた無名のミュシャに、突然ポスターの制作を依頼したという伝説的な逸話があります。ミュシャは見事にサラの期待に応え、できあがったポスターは街に貼り出されるやいなや大人気になりました。ミュシャはサラと6年の専属契約を結び、その間にポスター史に残る作品を生み出しました。

アルフォンス・ミュシャ《ジスモンダ アメリカツアー版》 1895年 リボリアンティークス蔵

アルフォンス・ミュシャ《ジスモンダ アメリカツアー版》 1895年 リボリアンティークス蔵

また、ガラス工芸家のルネ・ラリックもサラにパトロネージされた芸術家の一人です。ラリックは、サラと出会う以前から宝飾デザイナーとして独立していましたが、サラがラリックの宝飾品を身に付けて舞台に立ったことから、飛躍的に名声が高まり、その後の活躍の基礎を築きました。

そんな、サラ・ベルナールに見いだされたミュシャとラリックの二人が、コラボレーションした夢のような作品が、展覧会に出品されています。

デザイン:アルフォンス・ミュシャ/制作:ルネ・ラリック《舞台用冠 ユリ》1895年 箱根ラリック美術館蔵

デザイン:アルフォンス・ミュシャ/制作:ルネ・ラリック《舞台用冠 ユリ》1895年 箱根ラリック美術館蔵

これは「遠国の姫君」の舞台のヒロイン、メリザンドがかぶった百合の冠です。ミュシャがデザインし、ラリックが制作しました。冒頭に掲載したミュシャの作品にも、この冠をかぶってメリザンドに扮したサラが登場しています。

■芸術家としての一面

モデルとして自らがモチーフになるだけでなく、サラ自身も画家・彫刻家として活動しました。サラは自らの肖像彫刻をある彫刻家に注文したことをきっかけに、彫刻のレッスンを受けるようになり、アトリエをつくって取り組みました。その作品は女優業の余技とは思えないほど本格的なもので、サロンに入選しましたし、万国博覧会でも展覧され、国外で個展も開かれました。とくに彫刻の評価は高く、ロダンの激昂を買ったとも言われています。裏を返せば、ロダンが無視できないほどの彫刻をつくっていたということです。

サラ・ベルナール《キメラとしてのサラ・ベルナール》 1880年頃 エタンプ市美術館蔵

サラ・ベルナール《キメラとしてのサラ・ベルナール》 1880年頃 エタンプ市美術館蔵

展覧会には、サラが制作した「キメラとしてのサラ・ベルナール」が展示されています。神話上の生物「キメラ」に自身をなぞらえ、キメラにこうもりの羽を足した自分の姿を表しています。

良い面でも悪い面でも世間に注目されたサラですが、歴史上に名前を残せたのは、演技にしても作品作りにしてもいずれも実力があったからに他なりません。彼女の演技を見られないのは残念ですが、残された写真や装飾品などからもそのカリスマ性は窺えます。規格外の女優の足跡をたどりに、ぜひお出かけください。

【パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展】

■会期:2019年12月7日(土)~2020年1月31日(金)
■会場:渋谷区立松濤美術館
■住所:〒150-0046 東京都渋谷区松濤2-14-14
■電話番号:03-3465-9421
■公式サイト:https://shoto-museum.jp/
■開館時間:午前10時~午後6時(金曜のみ午後8時まで)
※入館は閉館の30分前まで
■休館日:月曜日(ただし、1月13日は開館)、12月29日(日)~1月3日(金)、1月14日(火)

取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』などへの寄稿ほか、『日本美術全集』『超絶技巧!明治工芸の粋』『村上隆のスーパーフラット・コレクション』など展覧会図録や書籍の編集・執筆も担当。

 

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