取材・文/藤田麻希
現代社会では上手いとは言えないけれども、親しみがもてるような絵や字のことを「味がある」と言って、ポジティブに捉えることがよくあります。じつは、このような趣味嗜好は今に始まったことではありません。
西洋美術史に登場する絵のほとんどは、権力者やお金持ちのために描かれたものです。そのような絵には、人々を圧倒させるような画風、端的に言えば本物そっくりに描くことが求められてきました。日本でも為政者の権力を誇示するために利用された絵はありましたが、一方で、浮世絵やお土産品など、富裕層だけではなく庶民のために描かれた絵も存在しました。そのような絵では、リアリスティックに細かく描くことを放棄した、ゆるく、ユーモアあふれる絵も人気を集めてきました。我が家に飾るなら、豪壮な絵よりもほっとするような絵の方が好まれたのも納得です。
そのような、リアリズムを目指さない日本独特の絵画を「素朴絵」という名で着目した展覧会「日本の素朴絵 ― ゆるい、かわいい、たのしい美術 ―」が、東京の三井記念美術館で開かれています。「素朴絵」という名前は、跡見学園女子大学教授で、この展覧会の監修者である矢島新さんの造語です。
そんな素朴美のルーツは古墳時代の埴輪に認められます。「埴輪(猪を抱える猟師)」は、目の大きさや高さも左右で違い、口角は右だけギュインと上がり、手は極端に短く、下半身はでっぷり。不思議なバランスでできています。なによりも、小脇にかかえる小さなイノシシがかわいいです。単に稚拙と言えるのかもしれませんが、なんにせよ魅力的な造形です。
平安時代や鎌倉時代後期にかけて素朴な表現は少ないのですが、14世紀、鎌倉時代末から南北朝時代にかけては、多くの素朴絵が描かれるようになりました。その一つのきっかけは、朝廷や貴族による庇護に期待できなくなったお寺や神社が、一般庶民を布教するための縁起絵(社寺の由来や霊験を描いた絵)を盛んに制作したことです。絵を見る対象が、権力者から一般庶民に変わったことで、格式張ったものではない素朴なスタイルが台頭しました。
こちらは室町時代後期から江戸時代にかけて多く描かれた、「伊勢参詣曼荼羅」の一種です。伊勢神宮とその周辺の景観が描かれます。伊勢神宮には、全国に出張して祈祷したり、御札や暦を配る、御師と呼ばれる人がいました。御師がこのような曼荼羅を掲げながら絵解きをすることによって、庶民は伊勢詣でに対する憧れを募らせたのでしょう。絵を見てみると、社殿は宙に浮いたのかのようですし、縦に描かれる五十鈴川も画面手前に張り付いたかのようです。また、建物の向きもばらばらでごちごちゃとした印象を与えますが、細部まで丁寧に描かれ、当時の参詣の様子をよく伝えています。
展覧会監修者の矢島先生は、素朴絵の黄金時代を16世紀だと言います。この時代には、狩野派が、織田信長や豊臣秀吉のために描いた豪奢な絵もありますが、一方で、素朴な絵巻や絵本の名作が多く描かれました。とくに矢島先生がおすすめするのが、「かるかや」と「つきしま」です。
「かるかや」のこの場面は、主人公である苅萱と息子の石童丸が往生を遂げ、浄土へと向かうクライマックスのシーンです。しかし、説明されない限り、何のシーンか読み解くのは至難の業です。右ページ下にいる僧侶が苅萱と石童丸、雲のなかにいるのが阿弥陀如来で、その下にいるのが菩薩でしょう。仏様には、肩から蓮の花が生えてしまっています。きっと阿弥陀来迎図の定形をまったく見たことのない人が、描いたに違いありません。
「現代の世の中にも素朴な絵はありますが、その多くは狙ったものです。大げさに言えば、現代人は、意図的でない結果的に素朴になった絵を、もう描くことができないと思います。現代において絵を描いている人は、100%近く美大や藝大を出ている方です。そうでなかったとしても、誰でも小中学校で美術教育を受けることができますし、絵にしろ映像にしろ、うまい表現をたくさん見て育ちます。ですので、現代人がそのような前提をなくして、素朴な表現に立ち返れるかというと、無理だと思います。そういう意味で、『かるかや』と『つきしま』は世界遺産にしたいくらいのものです」(矢島さん)
東海道の最後の宿場・大津で売っていた、お土産用の掛け軸を「大津絵」と言います。仏画や鬼や美人画などさまざまな画題があります。これらは注文を受けて制作するのではなく、出来合いのものを店頭に並べて売っていました。矢島先生曰く、この時代に一般庶民がアートを商品として買うような国は、ほかにないそうです。一般庶民が買うということは、それほど値段は高くなかったはず。一つ一つの単価を下げるためにスピーディーに描くことが求められ、その結果おおらかな画風が生まれました。この「猫と鼠」は、猫が鼠に酒をすすめ、酔っ払ったところを食べようとしています。
これまで見てきたものは、伝統的な絵画技法を学んだことのない絵師が、一生懸命に描いた結果、素朴になったものですが、江戸時代中期、18世紀に入ると、禅僧や茶人、俳人などの知識人が、意図的に素朴なスタイルの絵を描くようになります。彼らには本業が別にあり、絵を売る必要がなかったため、自由な絵を描くことができました。この絵は、表千家七代の如心斎が自身の根付を見ながら描いたという「鬼図」です。怖いはずの鬼がムチムチの赤ちゃんのようで、かわいいです。
この展覧会を見ると、教科書の正攻法な美術史とは違う、もう一つの日本美術の流れが存在することがわかります。肩肘張らずにのほほんと見られる絵がたくさん集まっていますので、美術館で和みに、ぜひお出かけください。
【日本の素朴絵 ― ゆるい、かわいい、たのしい美術 ―】
■会期:2019年7月6日(土)~2019年9月1日(日)
■会場:三井記念美術館
■住所:東京都中央区日本橋室町二丁目1番1号 三井本館7階
■電話番号:03-5777-8600(ハローダイヤル)
■展覧会サイト:http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/
■開室時間:10:00~17:00 ※金曜日は~19:00
※入館は閉館の30分前まで
■休館日:月曜日(7月15日、8月12日は開館)、7月16日
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』