取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ただの乗り物なのに、不思議と人の心を魅了する自動車とオートバイ。ここでは自動車やオートバイを溺愛することで歩んだ、彩りある軌跡をご紹介します。
食品会社の現地事務所駐在員として、奥様と共にアメリカで生活する大山純一さん(68歳)。はじめて購入したクルマ、日産(当時のアメリカではダットサン)『フェアレディ2000(SRL311型)』にすっかり魅せられます。現地のフェアレディオーナーと交流を重ね、より深くフェアレディを知ることで、気になる1台があらわれます。
念願だったローウィンドウのフェアレディを購入!
純一さんの気になる1台は、フェアレディの希少モデルでした。生産が開始された当初の『フェアレディ2000』は、アメリカの安全基準に適合しておらず、ちゃんと輸出できるよう半年ほどで手直しが施されます。
「手直し前のモデルを、我々は『前期型』や『ローウィンドウ』と呼んでいます。フロントウィンドウの高さが5センチ低いのが、後期型との一番の違いです。この5センチの差はデザインとしてとても大きく、個人的には前期型の方がまとまりが良く、格好いいと感じました」
前期型のフェアレディを購入すべく、純一さんは情報を集めます。すると前期型は800台しか生産されていないこと。生産終了から20年近くが経過しており、現存する個体はわずかであろうこと。そして希少価値により、フェアレディのファンなら誰もが欲しがるモデルであることが分かり、入手は決して楽ではなく、根気が必要であることを思い知らされます。
その後5年間、前期型のフェアレディを探し求めた純一さんの元に、ついに幸運の女神は微笑みました!
「オーナーズクラブ会報誌の売買コーナーに、『前期型を売りたい』という情報が掲載されていたんです。掲載者の住まいはカリフォルニア州フレズノで、ロサンゼルスからクルマで4~5時間ほどのところでした。誰かに先を越されぬようすぐに連絡を取り、社用車のシボレー『カプリス』で急行しました」
対面したフェアレディはエンジンがかからず、ボディも20年落ち相応の痛み具合。そして提示された価格は、これまでに購入したフェアレディの数倍! けれど本当に欲しいクルマを目の前に出されたら、もう購入意欲は止められません。純一さんは3000ドルちょうどまで価格を値切って購入。レンタカーショップで牽引トレーラーを借りて積載し、その日のうちに帰宅を果たします。
この前期型のフェアレディは、徹底的にレストアすることに決めた純一さん。まずはニューヨークに住まう、レーシングエンジンを手がける友人の元へと連絡を入れ、エンジンのオーバーホールを依頼。エンジンを外したあとのボディは専門の工房へと持ち込んで、修理と再塗装を依頼します。
購入から2年越しで仕上がった前期型のフェアレディ。オーナーズクラブのミーティングに、フェアレディショーへの参加に、純一さんはフェアレディを所有することでしか得られない経験を心より楽しみます。
そして1994年、純一さんは本社より帰国するよう辞令を受けます。もちろんここまで手をかけたフェアレディを手放すつもりはなく、家財と共に日本へと持ち帰ります(この時、最初に購入した2台のフェアレディは手放しています)。家財を載せるために借りた船便用のコンテナに、フェアレディを3台載せることができると知るや、「せっかくだから」と新たに2台のフェアレディを購入(うち1台は不動車)。家財や荷物、そして3台のフェアレディをコンテナに積んで帰国を果たします。『ハーレーダビッドソン』は気に入ってはいたものの、帰国を機に手放しました。
「日本でクラシックカー、しかも小型オープンカーを維持するのは思っていた以上に大変で、エンジンの動かないフェアレディは早々に売却しました。2台は車検を通して運転できる状態にしたのですが、高温多湿や渋滞の多いシーズンはオーバーヒートしてしまい、思うように乗れなくて……。最終的に前期型を残して売ってしまいました」
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