文/矢島裕紀彦
日本にウイスキーが持ち込まれたのは、幕末の嘉永6年(1853)。ペリー率いる4隻の蒸気船(黒船)が、浦賀に来航し、日本に開国を迫った。その際、浦賀奉行所与力の香山栄左衛門が船中でウイスキーの饗応を受けたのが、日本人で初めてウイスキーを飲んだ記録と伝えられる。
まもなく明治維新があって、日本の鎖国はとけ、一気に西洋の文物が流入する。舶来のウイスキーも入ってくるが、高価でもあり、すぐに大衆には行き渡らない。物真似の得意な日本人は、ここで、安い酒精アルコールにカラメルや香料で味付けと色付けを施しただけの模造ウイスキーを作り出す。
こうした試行錯誤はしばらく続き、化学者の高峰譲吉は、旧満州(中国東北部)大連の試験場でも、独自の製法による模造ウイスキーづくりの研究を実施している。
明治42年(1909)、夏目漱石は、満鉄総裁をつとめる旧友の中村是公を訪ねて大連に渡り、この高峰譲吉によるウイスキーづくりについて試験場の関係者から話を聞いている。そのとき抱いた漱石の感想。
「ここでウイスキーが出来るようになったら、中村がさぞ喜んで飲むことだろう」
漱石は下戸だったのだ。
鳥井信治郎と竹鶴政孝の奮闘によって、日本初の本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」が世に出るのは、それから20年後の昭和4年(1929)である。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。著書に『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。現在「漱石と明治人のことば」を当サイトにて連載中。
※本記事は「まいにちサライ」2014年11月1日配信分を転載したものです。
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