文/矢島裕紀彦
今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「忙しい時ほど遊ぶ。それが一番面白い」
--横山隆一
漫画家の横山隆一は明治42年(1909)、高知の生まれ。家は生糸商を営む豪家。坂本龍馬が泳いだという鏡川で水遊びしながら育ったという。しかし、その後、父を早くに亡くし一家離散の苦渋を味わうことになる。
漫画家を志し、雑誌投稿からはじめてプロとなった横山は、昭和7年(1932)、近藤日出造、杉浦幸雄らの若手漫画家とともに「新漫画派集団」を結成した。集団で結束して漫画を売り込むという狙いが当たって、このグループは次第に漫画界の主流となり、横山はリーダー的役割を担う存在となっていった。
横山の一番の代表作『フクちゃん』は、昭和11年(1936)に新聞連載が始まり、途中休載期間をはさみながらも昭和46年(1971)までつづいた。天衣無縫、どこかほのぼのしたナンセンス漫画の味わいが抜群だった。
一方で横山には妙な収集癖があり、高知市の横山隆一記念まんが館には、川端康成の胆石やトキワ壮の水道の蛇口、大佛次郎からもらった猫の着ぐるみ、毛沢東の葉巻などの不思議なコレクションも引き継がれている。
掲出のことばは、そんな横山隆一がテレビ番組のインタビューの中で語っていたもの。
なるほどねえ。貴重な時間の中で遊ぶからこそ、遊びも充実する。それに、ただ忙しさにかまけて遊ぶのを疎かにしたら、漫画家はアイデアが枯渇してしまうところもあるのだろう。
横山は酒が好きで酒仙の趣もあった。自分のペースを守りつつ、いかにも旨そうに飲み、食べ、酔っても乱れることがない。仲間と外で飲むときは梯子好きだったが、飲み終わるや否や、間髪を入れず、さっと払いを済ませてしまうのが常だったという。
また、酒席の横山は、昔のことであれ今のことであれ、悲しい話は一切しなかった。いや、どんなに悲しい話やつらい体験も、横山の手にかかると、不思議とユーモア漂う楽しい話に変じてしまうらしかった。その明るさと大らかさは、生まれ故郷の土佐の海を連想させるところがあったという。
横山は鎌倉の自宅に、「グラ」と名づけたホームバーを構えてもいた。大佛次郎や川端康成、永井龍男といった鎌倉文士たちも、よくこのバーに集っていた。ここでは、さまざまな種類のボトルの底の方に残ったウイスキーを何本も集めてつくる「隆一ブレンド」が、ことの外うまく人気が高かったという。
きっと、その特製ブレンドの中には、なにごとにも一家言あるうるさい文士連中をも包み込んでしまう、横山の大らかさも溶かしこんであったに違いない。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。