今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「棒ほど望めば、針ほど叶う」
--木見金治郎
将棋棋士の木見金治郎が、自身の門弟たちに向かって言い聞かせていたことばである。夢や志は大きく持って、それに向かって努力すべし。最初から小さな志しか持てないようなら、なにごとも成就することはできない。そういう意味だろう。
木見は明治10年(1877)岡山生まれ。当時、最高位の八段を有する関西棋界の実力者であったが、それ以上に、門下から升田幸三や大山康晴をはじめとする優れた棋士を輩出したことで知られる。
木見の指導方針は放任主義。升田幸三が自著にこう綴っている。
「先生と弟子というと、先生が手を取って教えてくれると思われがちですが、プロの修業というのは、そんなもんじゃありません。中にはそうする先生もあるけれど、ほんの例外でね。とくに木見先生の方針は、『自分で強くなれ』と、これに徹底しておった」(『名人に香車を引いた男』)
弟子にして手元に置き、勉強の場をつくってやる。先生の役目はそこまでであり、あとは自分で工夫、努力して強くなれ、というわけ。升田も大山も、内弟子としての雑用の合間に、自身で勉強し、先輩に鍛えてもらい腕を上げていったのである。
ここで見逃してならないのは、木見金治郎夫人ふさの存在だろう。
升田幸三14歳、大山康晴12歳。そんな年齢で内弟子になった子供らを相手に、ふさは棋士として強くなること以上に「人間」として一人前になるよう、気配りしていたように思える。
たとえば、こんな逸話がある。
雑用ばかりで将棋の勉強ができない--そんな不平不満で生活態度が定まらず、買いにいった豆腐をぶちまけてしまった升田少年に向かって、ふさはこう一喝した。
「使いっ走りも満足にできんどって、なにが将棋や」
升田はこれで目が醒めて、何をするにも目の前のことひとつひとつに集中心を持って取り組むようになった。時間を有効に使えるようになり、棋力を延ばすきっかけも掴んだという。
また、大山少年に対しては、
「将棋なんか、いくら強くなったって、思いやりのない人間になったら、ゼッタイに承知しませんよ」
と、繰り返し言い聞かせたという。
大山は棋界の頂点に立っても、このことばを忘れなかった。晩年の著書『勝つ!不動心』の中でも、このことばを紹介し、以下のようにつづけている。
「それ以来、『思いやり』だけはしっかり胸に抱きしめておこうと、五十余年のプロ棋士生活をすごしてきた。(略)人間の集団に思いやりが消えてしまったら、けだものと大したちがいのない動物の群れ、というべきだろう」
木見が放任主義に徹し名伯楽たり得たのも、陰にふさ夫人という重しがあったればこそだったのである。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。