取材・文/鳥海美奈子
フランスのブルゴーニュ地方は、世界的に高く評価されるワインの銘醸地です。そのなかでも有名なトップ生産者のひとりが、ドメーヌ・ビゾです。
来日した当主ジャン・イヴ・ビゾに、そのワイン造りの哲学と、ブルゴーニュワインの現状について聞きました。
ブルゴーニュのなかでも最高級のワインは、“グラン・ヴァン”と呼ばれます。そのグラン・ヴァンには、過去、いくつかの潮流がありました。
とりわけ1990年代~2000年代半ば頃までは、強く濃い味わいのワインが主流となりました。しかし、その味わいがあまりにパワフルなために、飲みごろになるまでに10年、あるいは20年を要するとも言われたのです。
そういったワインは、醸造の際にぶどうからより多くの色素を抽出したり、アルコール度数をより上げるための工夫がされたりと、最先端の醸造テクニックを駆使したものでした。
しかし、その流れも近年、変わりつつあります。その変革の最先端にいるのが、ドメーヌ・ビゾです。
■いかにシンプルにワインを造るか
「私はこれまで22年にわたり、ワインを造ってきました。そのなかでグラン・ヴァンとは何か、素晴らしいテロワール(=ワインを産み出す土壌や風土)とは何か、を考え続けてきました。
いわゆる常識とされるぶどう栽培や醸造法、ブルゴーニュワインに対する社会的な通念や概念すべてが、自分にとっては意味がなく、邪魔なものだと思っていたからです。その結果、ひとつの答えにたどり着きました。それは”いかにシンプルにワインを造るか”ということです。
ワインは人々が農業、つまり自給生活をはじめた頃に、同時に誕生したといわれます。今から6000年前のことです。その頃からワイン造りの基本はぶどうを採り、その果汁を発酵させるというだけの作業です。
だから私は、現代のぶどう栽培法やワイン醸造学を疑い、いかに化学的な要素を排除して、よけいな行程を踏まずに、シンプルにワインを造るかを考え始めたのです。その方法を獲得するために19世紀のぶどう栽培に関する農業文献を読み解いたりもしました」(ジャン・イヴ・ビゾ氏)
一般にワインの生産者は、ぶどうの状態により、毎年、栽培法や醸造法を変えていきます。しかしそれは、その時々の対処法に過ぎないため、必ずしも良い結果を生むわけではありません。ひとつの対処をしたものの失敗し、その失敗を補うためにまた違う対処を施すことも少なくないからです。
ビゾは反対に、「シンプルにワイン造る」「彼が考える理想の、そして究極のグラン・ヴァンのスタイル」を先に定めて、その哲学を具現化するための栽培、醸造法を選択したといいます。そのもとでワイン造りを行うと、「年ごと、あるいは畑の格付けごとに栽培や醸造法を変える必要がない」とも話します。
つまりビゾにとってもっとも高みのワイン造りの方法に、22年間の思考の果てに、たどり着いたというのです。
■ドメーヌ・ビゾのワイン造り
まず大切なのは、ぶどうの収穫量を抑えることです。そうすると、当然ながら収入は減ります。しかし、収穫量を抑えることでぶどうが上質なものになります。
一般的にブルゴーニュで行われているのは、ぶどうの母枝から8つの細い枝(結果枝)を伸ばし、そこにぶどうを実らせる方法です。しかし、収穫量を求めないビゾは、この枝を4~5つに抑えてしまいます。
さらに、新梢の先端については、一般的には定期的に切ります。ぶどうの蔓の先端には多くの成長エネルギーがあり、それを切ることで栄養がぶどうの実へと行きわたり、ぶどうの房も大きくなるからです。
しかしビゾでは、この蔓の先端を切ることもやりません。
「蔓の先端には、ぶどうの木そのものの成長エネルギーが詰まっています。そこを人為的に切ってしまうと、自然本来の木のエネルギーや流れを奪ってしまうことになるので、樹液の自然な循環が妨げられたり、ぶどうがきちんと成熟しません。
先端を切らないことにより、理想的なぶどうが収穫できるのです。茎の部分までちんと生理的に成熟するのでワインに変なエグ味が出ませんし、香りがよりアロマティックになります。さらにはぶどうの実が小さいので粒と粒のあいだの風通しがよくなり、病気にもかかりづらくなります」(ジャン・イヴ・ビゾ氏)
蔓の先端が生き生きと伸びている状態だと、トラクターも入れないので、畑はすべて手作業になり、そのぶん手間や労力がかかります。この方法を現在、ブルゴーニュで完全に取り入れているのはこのドメーヌ・ビゾと、やはり有名生産者のドメーヌ・ルロワだけです。
しかし近年、そのほうが上質なぶどうが採れると注目されつつあり、他のブルゴーニュの生産者も実験的に取り入れ始めています。
さらに、そのぶどうを収穫する際も細心の注意を払います。ぶどうを採ったら、畑のなかで傷んだ粒や未成熟な粒をひとつずつ取り除きます。収穫には毎年、同じ人が携わるので、誰もがビゾの哲学をよく理解していて、丁寧にその作業が行われます。
「ぶどうは木から切り離した時点で、生気がどんどん落ちてしまいます。そのフレッシュさをいかに保つかが大切です。だから収穫して傷んだ部分などを取り除いたあとは、できるだけ人の手にも触れさせたくない。手に触れれば触れるほど、自然本来の姿ではない要素が加わってしまうからです。
そのため少しでも早く、そして丁寧に発酵槽のなかへと入れます。この作業のときにぶどうを乱雑に扱って傷つけたりすると、そこからすぐに酸化がはじまって、ワインの味も落ちてしまいます」(ジャン・イヴ・ビゾ氏)
これまでブルゴーニュでは、ぶどうの茎の部分を捨てて、ぶどうの粒だけで発酵する除梗(じょこう)というやり方が主流でした。しかし、ぶどう本来の姿を重視するビゾでは、収穫したぶどうをそのまま房ごと入れる、全房発酵という方法を取ります。その後は、ほとんど何もせず、自然の発酵に任せます。発酵が始まるためにはぶどうジュースが必要なので、発酵をうながすために少しだけ房をつぶし、表面に浮かんだ皮や種、茎をしめらすために数回、全体を混ぜるピジャージュという作業をするだけです。
ワインの発酵の際には、温度コントロールをする生産者も少なくありません。
ぶどうをたくさん破砕して一気に発酵を促し、果汁の温度を爆発的に上げることで高アルコールスタイルのワインを目指したり、あるいは逆に低温でおこなうことで、より多くの香りを抽出しようとする生産者もいます。でも、ビゾではそういった温度コントロールもいっさいしません。
「温度コントロールをすると、ぶどうが本来的に持っている発酵の力を妨げることになります。全房発酵だとぶどうの粒が空気と触れる部分が少なくなるので、発酵もゆっくり進みます。あえて温度コントロールをする必要もありません」(ジャン・イヴ・ビゾ氏)
そのまま14~15日置いてアルコール発酵が終わったら、あとは果汁部分のみを樽に詰めて16~18ヶ月ほど置き、その樽からダイレクトに瓶詰めします。この方法も、一般的なやり方とは違います。
「多くの生産者は、さまざまな樽に入ったワインを一度大きなタンクにすべて移してから瓶詰めします。そうすると味わいが平均化するといいますが、ワインを移し替えて空気に触れさせると、そのたびに酸化の恐れがあります。私はそのリスクを避けたいのです。そうすることで酸化防止剤SO2の量も最低限に抑えることができます」(ジャン・イヴ・ビゾ氏)
そうしてできたビゾのワインには、スミレ、甘草、スグリやフランボワーズといった赤い果実の香りが入り交じり、うっとりするほどの香気に満ちています。上質なぶどうゆえ、過剰なテクニックを使わないゆえのスムーズさがあり、かつそのワインは銘醸地ブルゴーニュのテロワールを存分に表現し、風格にも満ちています。
ワイン造りに限らず、どのような職業でも「シンプル」ほど至難なことはないでしょう。それは、数多の経験と思慮を積み重ねた果てにたどり着く、真正のプロフェッショナルの世界です。
その姿を、ワイン造りを通してビゾは表現しているのだと、そう感じられました。
※ドメーヌ・ビゾのワインについてのお問い合わせ:木下インターナショナル(電話:075・681・0721)
取材・文/鳥海美奈子